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諸葛瞻と閻宇は何をしたかったのか?

234 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/27(火) 22:55:09
黄皓には、「宦人黄皓始專政」と明記されるほどの権限があった。
前後の例に照らせば、臣下からの上書は基本的に黄皓に知らされ、
黄皓は劉禅へ「助言」を行い、劉禅の意を受ける形で、内朝から外朝へ政策方針が伝達されたことになる。
これは政策の大指針や、皇帝の勅任である高官の人事考課をも黄皓が掌握していたことになる。
これを制度的に干渉できる者は確認できない。
勿論、最終的には劉禅の決断を必要としただろうが、黄皓は絶大な「専政」をしたと記される
わけだから、劉禅はかなりの程度で黄皓の判断に従ったものと思える。
すると、皇帝の意志は尚書を通して起草されて詔勅となり、
外朝の各部局(末期の平尚書事含む)はそれを執行する機関になってしまう。
諸葛瞻らは意見があれば上表しただろうが、重要なものは黄皓に口を挟まれてしまうわけだから、
政策の決定権を僅かなりとも取り戻そうとすれば黄皓に阿附するしかない。
後漢末の曹爽や王允が「権道(困難な時世に応じて便宜の方策で思想を実現しようとする道)」を取ったのと
同じ選択と言える。

勿論、劉禅、黄皓、諸葛瞻らの内心なんてものは計り知れないが。

閻宇について。
諸葛瞻らも黄皓も、姜維を更迭しようとはしたが、劉禅の勅は降りた形跡がないのが計画半ばだったのだろう。
劉禅がこの計画を全く知らなかったとしても不思議ではないが、真実は判らない。

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