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諸葛瞻と閻宇は何をしたかったのか?

129 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/13(土) 08:34:52
『三国志研究 第三号』  2008年9月三国志学会編 研究ノート 孫呉における都督について 木村正博

(中略)
そこで問題になるのが、「継業」や「襲業」といった表記で表される世兵制である。
構造としては、「元来保持していた兵」、「君主からの授兵」、「兵の世襲領兵」、「官職等の既得権益の継承」。
これらの組み合わせによるものと思われる。都督の世襲について問題になるのは「官職等の既得権益の継承」の理解である。

『呉志』巻七・歩隲伝付歩闡伝に、
(赤烏)十年(二四七)年卒、子協嗣、統隲所領、加撫軍将軍。協卒、歩キ(玉へんに機のつくり)嗣侯。
協弟歩闡、継業為西陵督、加昭武将軍、封西亭侯。

とある。先述していることであるが、歩協ないし歩闡の西陵支配と重なって、陸胤が単一拠点による西陵の都督に任命されている。
そうした状況の中で歩協が西陵の都督であったとは考えにくい。さすれば「業」は都督を指すのでは無いということになる。
「業」は官職ではなく、西陵を支配するというような実質的な既得権益を指しているものと思われる。同じ土地をを支配し兵を世襲したからといって、
都督に必ず任命されるとは限らなかったかもしれないが、彼らの職掌は軍鎮都督のそれといっても差し支えない状況であったと思われる。
そうした点から都督の任命、都督の世襲傾向というものが生み出されていったのであろう。
(後略)

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