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諸葛瞻と閻宇は何をしたかったのか?

1 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/04(木) 18:26:22
閻宇(エンウ)。

キョウイが北伐してるときに対呉を担当してた人。
おそらくキョウイに次ぐ将だったはずなのに三国志正史蜀書には
エンウの伝は一切なし。諸葛センが反キョウイに周りキョウイと
エンウを交代させようとした時に名前だけ出てきた人物

このエンウが何を考えていて、どのような人物だったかが分かれば
蜀末期の事情が浮き彫りになると思いたててみた。

112 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/12(金) 21:51:24
荒らすな

113 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/12(金) 21:55:05
>>111
そんなの当たり前だろ・・・。

114 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/12(金) 21:58:01
>.113
本人?
ならばそれは自分を卑下した言葉?
普通に文献史学の見地からすれば、当たり前のわけはないんだが。

115 :Jominian ◆Henri9gNlM :2010/03/12(金) 22:03:31
>>108
歩協が西陵督を取り上げられたなんて記述あったっけ?
西陵督は歩闡が反乱を起こすまでは歩氏の職務だったと思うけど。


いずれにせよ、陸抗は関羽瀬から白帝までの都督だったので、
陸抗が出てきている以上、司令官は歩協ではなく陸抗になるのは当然だけどね。

この戦役で問題になるのは、楽郷にいた施績だろうね。
最終的に胡烈が歩騎二万を率いて西陵に向かう事で陸抗は軍を撤退させるけど、
楽郷にいた施績が何かした記述が無い。
仮に施績が襄陽に軍を進め、荊州からの軍の抑えとなっていたなら、
また別の結果になったかもしれない。

116 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/12(金) 22:08:52
>>114
他人が自分と同じ土俵に立っているのが当然と考えることは独善的だなとは思うね。


117 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/12(金) 22:10:16
おっ、ジョミっちが出てきた。

118 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/12(金) 22:12:57
>>115
西陵督が歩協から陸胤→陸抗に移ったということは、取り上げられたってことなんじゃね?

119 :Jominian ◆Henri9gNlM :2010/03/12(金) 22:26:32
>>118
永安元年に陸胤が西陵督になった記述があり、永安二年に陸抗が西陵都督になった記述があるけど、
歩闡は歩協の後を継いで西陵督になっているので、やはり西陵督は歩協だと思うよ。

陸抗の西陵都督は、西陵に駐屯しているという事を示していて、
西陵督よりも上位の職務だと考えている。

陸胤の方は確かに微妙なんだよね。
歩騭が赤烏十年に死んでいるので、歩協伝を普通に読むと、赤烏十年に歩協が西陵督になっているのではないかと思う。
ただそうすると、永安元年に歩協から陸胤に交代している事になる。
しかしながら、歩協が西陵から別の任地に遷っているなら、
永安の包囲に参加しているのも、歩闡が歩協の後を継いだという記述も不自然になる。

歩協→陸胤→歩協と西陵督が移ったと考えるのが良いかなぁ、と思う。

120 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/12(金) 22:30:23
カタカナはジョミさんに憧れているが、真似した形式でレスしても知識の浅さが露見してしまうだけになってしまうw

121 :Jominian ◆Henri9gNlM :2010/03/12(金) 22:41:17
>>120
彼が俺に憧れているようには見えないんだけどw

122 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/12(金) 22:45:20
いや対抗しながらも憧れてるよ、奴は
ただ、奴の場合いつも皆からフルボッコにされるけどね

123 :Jominian ◆Henri9gNlM :2010/03/12(金) 22:53:37
>>122
そうかねぇ。よく分からん

124 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/12(金) 22:58:04
>>119
そもそも歩協が西陵督になったなんて何処にも書いてないんじゃね?

125 :Jominian ◆Henri9gNlM :2010/03/12(金) 23:01:56
>>124
直接的には書いてないが、「協弟闡、継業為西陵督」という一文は、
歩闡が歩協から西陵督を継いだ事を意味しているように思えるが。

126 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/12(金) 23:05:44
>>125
フツーに考えればそうなんだろうけど、継業プラスアルファが西陵督なんじゃね?

127 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/12(金) 23:34:05
軍隊は世襲なんだし、職責も世襲じゃだめなん?

128 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/13(土) 07:55:45
普通は爵位と領土で、官職は継承しないものなんじゃ?

129 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/13(土) 08:34:52
『三国志研究 第三号』  2008年9月三国志学会編 研究ノート 孫呉における都督について 木村正博

(中略)
そこで問題になるのが、「継業」や「襲業」といった表記で表される世兵制である。
構造としては、「元来保持していた兵」、「君主からの授兵」、「兵の世襲領兵」、「官職等の既得権益の継承」。
これらの組み合わせによるものと思われる。都督の世襲について問題になるのは「官職等の既得権益の継承」の理解である。

『呉志』巻七・歩隲伝付歩闡伝に、
(赤烏)十年(二四七)年卒、子協嗣、統隲所領、加撫軍将軍。協卒、歩キ(玉へんに機のつくり)嗣侯。
協弟歩闡、継業為西陵督、加昭武将軍、封西亭侯。

とある。先述していることであるが、歩協ないし歩闡の西陵支配と重なって、陸胤が単一拠点による西陵の都督に任命されている。
そうした状況の中で歩協が西陵の都督であったとは考えにくい。さすれば「業」は都督を指すのでは無いということになる。
「業」は官職ではなく、西陵を支配するというような実質的な既得権益を指しているものと思われる。同じ土地をを支配し兵を世襲したからといって、
都督に必ず任命されるとは限らなかったかもしれないが、彼らの職掌は軍鎮都督のそれといっても差し支えない状況であったと思われる。
そうした点から都督の任命、都督の世襲傾向というものが生み出されていったのであろう。
(後略)

130 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/13(土) 08:49:00
クマッタ^^

131 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/14(日) 15:13:13
そこあたりのさ三国志の生活 兵隊の給料とか税金の納め方
とかがどうだったとかが詳しく解説されてるサイトとかってないかな?

どうも江戸時代の感覚で捕らえてしまう。

132 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/14(日) 16:34:03
>同じ土地を支配し兵を世襲したからといって、 都督に必ず任命されるとは限らなかったかもしれないが、
>彼らの職掌は軍鎮都督のそれといっても差し支えない状況であったと思われる。

この部分の日本語がわかりにくい。

同じ土地を支配し兵を世襲したからといって、「必ずしも」都督に任命されるとは限らなかった「のであろう」。
「とはいえ」、彼らの職掌は軍鎮都督のそれといっても差し支えない状況であったと「も」思われる。

こうした方がスッキリする。

133 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/14(日) 16:44:52
>>110
もみ消すのは陳寿だけ。そして事情を知ってる人間はあれで見当がつく書き方となっているから
陳寿的にはあれが歴史家としてウソをつかずに本当のことを書きつつも恩人に迷惑がかからないギリギリのやり方。
そして陳寿以降の西晋の歴史家は、蜀漢の事情なんて知らないから陳寿の表向きの記述でしか史実を知りえない。
知らないのだからもみ消す必要も無い。つまり羅憲が斬ったのは成都の混乱を永安にもたらした「名もない誰か」であって、
それが具体的に誰であったのかを知らないのだから、注釈のつけようが無い。

134 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/14(日) 16:52:59
でも習鑿歯は知っていたかもしれない。もちろん親戚の祖先が羅憲だから都合の悪い事をかくわけねーけど。

135 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/14(日) 17:06:56
 で、僕が羅憲が斬った1人が閻宇だと思うようになった理由は、第一に成都を救援に行った閻宇の消息が不明なこと。
当時の閻宇の職責は南中の霍弋と同等であって省略すべきものではないと考えた。
 第二に永安に遺した守備兵2000で、歩協の軍を撃退したばかりか、陸抗軍3万の攻撃に半年以上耐えぬいたこと。
「羅憲スゲー!」で片付けるのもいいけれども、それで済むなら逆に「んなわけねーだろ」という考えがあってもおかしくないだろう。
羅憲軍が2000だった根拠は、閻宇が成都に進発した際に永安に2000遺したと書いてあるから。
だったら時間的に考えて陸抗と対峙したときは2000で無かった可能性が高いと考えた。
羅憲が1万人を超える規模の兵士を率いていたのであれば、陸抗軍3万が永安を抜け無かったとしても、まぁおかしくは無いだろう。
となると、問題は羅憲は一体どこから兵士を集めてきたのか?という疑問にブチ当たる。
そこで初めて「羅憲が斬った一人」という記述がある一つの事実を指し示している可能性があることに気づくのである。
 まぁ、仮定に仮定を重ねたトンデモ理論なので、胸の内だけにしまっておこうかと思っていたんだけど、
はからずもこの板で同じこと考えている人がいたので「俺だけじゃ無いんだ」と思ったものです。

歴史書は説明書が無い上に、パーツが足りないプラモデルみたいなものだから、残された部分だけで組み上げると
それっぽい物しか出来上がらんのよ。





136 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/14(日) 17:07:07
>>133
陳寿が永安防衛当時の羅憲の事績に触れた箇所ってどこ?
どこにもないように見えるが。
全て習鑿歯の筆によるものだろ?

137 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/14(日) 17:18:45
>>136
まじだw。じゃあ陳寿関係ないな。習鑿歯に訂正しておくわ。

138 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/14(日) 17:24:31
ttp://maps.google.com/maps?hl=ja&lr=lang_ja&oe=UTF-8&q=%E6%B0%B8%E5%AE%89&num=50&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wl
これが現在の永安周辺だが、見ての通り鬼のような難所。
ここは巴東郡の東の入口にあり、長江沿いさえ抑えて置けば、巴東郡への進入を完全にシャットアウトできる。
一城の防備が十分で士気さえ維持できれば、数千で守れる地形だろう。
逆に三万もいたところで数の優勢を発揮できる場所じゃないんだ。

羅憲は巴東太守と巴東領軍の二つの職責が知られており、「江邊長吏」つまり長江沿岸の郡県高官の同様を
抑えたことから、巴東郡への統制力を維持していたとわかる。
つまり羅憲は、常備兵2000を主力として永安で呉軍を遮断したうえで、後背地に当たる巴東郡の経済力や
人的供給力を回転させて半年に渡って防衛線(というか点)を維持したと推察される。

特に不自然な点はないね。

139 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/14(日) 17:32:51
>>138
そう聞くと不自然な点は無いんだけど、肝心の地図上のどこが永安なのかわからん。
永安市じゃなさそうなのはわかった。

140 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/14(日) 17:35:33
http://sakuratan.ddo.jp/uploader/source/date126649.jpg

おそらくこの写真のどこかだと思うんだけどね。

141 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/14(日) 17:36:32
おかしいな
まあ白帝鎮で検索ですれば現在の白帝鎮や永安鎮の場所がでるよ
そのどの辺に当時の永安城があったかまでは知らないけど

142 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/14(日) 17:40:37
http://sakuratan.ddo.jp/uploader/source/date126650.jpg

これが白帝鎮か!うーん。

143 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/14(日) 17:42:18
そもそも長江の流れって三国時代と全然ちがってるんじゃね?

水経注だっけ?当時の地図みてみないとわからんわ。

144 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/14(日) 17:44:52
疫病が発生した
ある程度予備があったので戦えた
三万の敵相手にも士気を維持出来た
よって半年間守りきれた

でも問題はないな
だが仮に斬られたのが閻宇だとして何故名前を伏せたのか?
一見美談に見えるが実は醜聞ということかな

145 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/14(日) 17:45:50
流域が南北に1キロくらいずれたって地形の困難さは変わらないよ

146 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/14(日) 17:48:08
578 名前:クマッタ ◆6heAgF.FgWp2 :2010/03/14(日) 16:06:54
まあ面白ければ何でも可
つまらなければ観なけりゃいいだけの話だ

ちなみに福井作品はローレライちょろっと読んで飽きて以来ご無沙汰

wwwwwwwwwwwwwwwwwwww

147 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/14(日) 17:51:53
鍾会の乱でどれだけ死人が出たんだっけ?

148 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/14(日) 17:59:56
ttp://michio-h.sakura.ne.jp/kaigai-ryokou-1/sankyo023.jpg

孔明たちは何で通過出来たんだろう

149 :Jominian ◆Henri9gNlM :2010/03/14(日) 18:01:49
>>126>>129
継業と為西陵督は、それぞれ別の事を指していると?

呉の軍制についてはろくに考えていないから、俺が間違ってるってのはあるかもね。
この辺は、史書を洗い直した上でまた考える事にするわ。

>>138
華陽国志巴志には、呉将の唐咨がシュン忍まで軍を進めた事が載っている。
「唐咨」ってのも変な話だが、歩協と歩闡を間違えるような華陽国志だし、
誰かと間違えて書いているってのは考えられる。
いずれにせよ、華陽国志の記述を信じるなら、
呉軍は規模はともかくとして軍を永安より西に進ませる事ができた、という事になる。

150 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/14(日) 18:02:53
クマッタ蛆虫の巣窟

151 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/14(日) 18:21:08
チンチン小さいのはもちろんのこと
黒いし、仮性包茎だしカリが以上に小さい・・・
おわた

152 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/14(日) 21:44:12
>>149
歩協と歩闡間違えてるん?

153 :Jominian ◆Henri9gNlM :2010/03/14(日) 23:41:40
帰ってきてもスレが殆ど進んでいない。
それも俺のレスを境にして。

>>152
ttp://www.chinapage.com/big5/history/hygj1.htm
原文読むと分かるけど、完全に間違えてるよ。
時期も何故か泰始二年になってる。
他にも陳祗の死が景耀二年になっていたりする。
陳祗の死に関しては、ttp://d.hatena.ne.jp/mujin/20090311/p2
ここで言及されてるけど。


個人的には、歩協だ羅憲だ陸抗だは良いとして、この話題で施績に批判がいかないのが気になる。
なんでみすみす胡烈を西陵に行かしてんだよ、って感じだね。

この胡烈の直接西陵に向った道は、景元二年のケ由降伏に際して胡烈が取るべきだった道だと思う。
これは王基よって批判され、実行に移されなかったけどね。
呉軍の妨害を受けずに西陵近くまで軍を進められた事で、
胡烈は内心王基の鼻を明かしてやった気分だったろう。
既に王基は死んでたけどね。

154 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/14(日) 23:48:17
ジョミさんに前から聞きたかったんだけど、孔明の死後〜西晋統一までは誰が主役のストーリだと思う?

155 :Jominian ◆Henri9gNlM :2010/03/14(日) 23:58:04
>>154
物語じゃないから主役というものが存在するのかどうかも分からんし、
敢えて考えてみても、諸葛亮死後〜西晋の統一までの範囲全体で特定の人物を主役とするのは難しい。
全期間を通して目立っていた奴なんていないだろうし。

それを題材に物語を作るとしたら、最初は姜維を、次いで張悌辺りを据えるのが作りやすいかもね。
ただ、いずれにせよ、その時その時目立っていた人物をその回の主役にした方がやりやすそう。

156 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/15(月) 00:13:11
そっかぁ、たしかに言われてみればその二人が主役なら良い感動がありそうだな。
ちなみに、三国志関連の資料本(小説形式)のものを何冊ぐらい読破したらそこまで詳しくなれるの??

157 :Jominian ◆Henri9gNlM :2010/03/15(月) 00:24:31
>>156
俺がそれほど詳しいのかと言うと分からんけれど、
副読本の類は殆ど読んでいない。
学研の歴史群像シリーズの三国志上下とか、それと同系統の戦略戦術兵器事典【中国古代偏】とかぐらい。
論文も渡邉義浩氏の「三国政権の構造と『名士』」くらいしか読んでいないね。
あぁ、川勝義雄氏の魏晋南北朝と、白帝社から出てる「西晋の武帝 司馬炎」は読んだな。
小説は一切読んでない。

基本的には、適当に史料を漁りながら思い付いた事を話してるだけだよ。
なので、俺が話している程度の事なら、そこまで中国史の知識はいらないと思う。

158 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/15(月) 00:30:15
今ひととおりググってみたよ。
その中だと、個人的に1番面白そうだと思ったのが「西晋の武帝 司馬炎」かな。
三国志末期を深く書いてあるのはコレかなと思ったけど、どう?
買うかも。

159 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/15(月) 00:33:00
そういや姜維伝の小説が今月でてたな。正史三国志完全版(笑)より100倍マシな出来だった。

160 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/15(月) 08:30:51
>>156なら論文以外は読んだな。
白帝社の司馬炎と講談社の魏晋南北朝は読んでない人は読んで損はしないはず。
それはそうと俺も論文が読みたい。

161 :Jominian ◆Henri9gNlM :2010/03/15(月) 21:12:04
>>158
>>160の言う通り、司馬炎は読んでおいて損は無いよ。
多分図書館なんかにもあるから、一度借りて読んでみても良いかもしれない。

>>160
>>157で挙げた渡邉義浩氏のなら通販で買える。
汲古書院辺りで探せば、魏晋の頃の論文が色々出てくるだろう。
高いから中身分からないまま買うのは勇気がいるだろうけどね。

162 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/16(火) 00:23:07
>>161
どうも
そうやって入手できるのか…
懐に余裕ができたら是非とも探してみようかな

163 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/16(火) 12:20:38
レッドクリフに便乗して
その後の三国志とかいう研究書っぽい題名で
その実、中身は思い入れたっぷりの殴り書きみたいな本も
どさくさに紛れて出てたな

164 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/16(火) 17:08:27
三国志の考察本って演義なのか正史なのかはっきりさせないのが
多いからな。特に史料のなり後期だといきなり演義からもってきたりするし。

165 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/16(火) 17:19:09
では、アンジェのウンコと言うのはどうだろう?
人間の老廃物、異臭を放つ汚物、そう嫌悪するものも多く見られるのは確かである。
しかし、ここでわたしは問いたい。
貴方がたの汚便と、アンジェのウンコとは、そもそも普遍的な同一性を持って語られるのであろうか?
答えは否である。
神格化されたもの(ここでいうアンジェのウンコ)は、生れ落ちた瞬間、その神格性を同時に引き継ぐ。
つまり、他人の排便を好むスカトロジーを、フェティシズムが具現化した「自分への愛」というならば、
アンジェのウンコを好むことは、すなわち「神への愛」、という前者とは全く相対する思想なのだ。

わたしは、現代社会における信仰の喪失、また慈愛精神の忘失といった問題に、
三戦板住民たち原理主義者が立ち返り、人類に最後の警鐘をおこなっているかのように感じたのである。

166 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/16(火) 17:21:51
二つ年下の知り合いの女の子は高1から付き合ってる彼氏がいる。自分はその子と最初
知り合った時、一応童貞は卒業していたものの、初めて恋人ができてセックスをした年齢では
ずっと遅れをとっており、当然セックスをした回数も遥かに劣るであろうことも容易に予想できる。
自分が筆おろしもののAVやエロ本で無駄な精液を垂れ流していた時、その子は彼氏とホテルで
ベロキスをし、乳を揉まれ吸われ、マンコもけつの穴も舐められ、でかいモノをくわえたり
あまつさえぶち込まれてイってたのか、と想像してしばしばぬく。彼女にしてみたいくらい
可愛い子なので尚更。

167 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/16(火) 21:05:23
>>160
三国志研究入門(日外アソシエーツ,2007年)の
文献目録が参考になりますよ

ただ史学書の場合基本的に魏晋南北朝で1冊なのが多いから
そこまで読む気がないと買いづらいと思う

168 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/17(水) 08:45:34
>>167
どうも
南北朝時代は興味アリアリなんで、いけると思う
講談社の魏晋南北朝は非常に興味深く何度か読めたし

169 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/18(木) 23:04:08
さて大体エンウの動きが分かってきたかな。なんだかんだで
最後あたり成都の救援には言ってたのか。しかし救援に言ってたのに
リュウゼンはあっけなく降伏してしまったわけだから
いろいろあったんだろうけど。

コウコウってその後も生き延びたらしいけど。コウコウからしたら蜀で実権握ってた時が
一番栄華を誇ってた時代だろうし。コウコウからしても魏に負けるのは予想外の
だったはずなんだけど。リュウゼン降伏にもいろいろ合ったんだろうな。裏に。



170 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/18(木) 23:09:19
>>169
誤字脱字が多いな。
  
         by曹操(レッドクリフ)

171 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/19(金) 10:05:38
イメージの虐めを患ってるの

172 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/19(金) 10:12:48
クマッタ蛆虫荒らすな

173 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/20(土) 14:08:57
>>169死ね

174 :Jominian ◆Henri9gNlM :2010/03/21(日) 01:02:25
閻宇と言えば宋書州郡志だな。
荊州の南浦県について、「劉禅の建興八年十月、益州牧の閻宇が羊渠より改めて立てる」とある。
建興八年って時点で怪しさ全開だけど。

175 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/21(日) 02:53:27
>>169
>大体エンウの動きが分かってきたかな。

閻宇も黄皓も、なんだかんだでいろいろあっただけで済ますな

176 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/21(日) 09:37:14
クマッタ死ね

177 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/21(日) 09:58:45
ハッと顔を上げると髪の短い子が椅子の上で体育座りをしてて
僕にだけパンモロ状態を見せていた。
髪の長い子は脚を組んでこっちを睨み付けてる。

えっ?えっ?と思って顔を横に振ったけど2人とも僕を見たまま目を逸らさない。
それで、やんなきゃダメなんだと思って
周りの人がこっちを見てないのを確認して振るえる手でチャックを下ろして
ちんこをぽろりと露出させてしまった。
ちんこは真っ赤になっていてローションをかぶったみたいに濡れていた。
先っぽからドクドクとガマン汁が溢れてる。
脚がガクガク震えて何もしてないのにもう逝っちゃいそうだった。
髪の短い子はハッと驚いた顔でガン見してきてリアクションが大きかった。
髪の長い子は僕の顔とちんこを見比べて蔑むような目をした。
10秒くらいだと思うがとても長く感じた。

すると目の前にまたメモ書きが放り投げられた。
うそだよ〜 とハートマークが添えられて書かれていた。
えっ?と思った瞬間女の子たちは立上がり、笑いながら手を振って行ってしまった。
慌てて僕もちんこを仕舞い何事もなかったようにした。
残っていたドリンクを一気に飲み込んだ。
足が震えたままだったがその場を逃げ出したかったので急いでマックを後にした。

178 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/22(月) 22:40:06
リュウゼンの投降が徳川慶喜並の政治的判断があったとして。
コウコウはリュウゼンに降伏を勧めたんだろうか?

あの時点で成都にはもう諸葛センもいないし。実際はコウコウ独裁状態のはず。
コウコウが徹底抗戦を言えば出来たはずだと思うんだが。
コウコウと魏でなんか取引でもしてたんだろうかね。生き延びたぐらいだから
合ったんだろうけど。

179 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/23(火) 07:36:17
>>179
家系も学問も全く触れられない黄皓が文字通りの無能だったら
そもそも独裁できるまで成り上がれないだろうから
そこそこの小賢しさ(と口のうまさ)ぐらいはあっただろう
だから緜竹落城で勝ち目がなくなったという判断ぐらいはできたと思う

またその時点で成都にいた可能性のある高級将官なんて
病気で成都に帰ってきていた70過ぎの宗預(鎮軍大将軍)と
永安から来る予定だけど消息が分からない閻宇(右大将軍)しかいない
どっちにしろ成都で迎撃して何とかなるとは思わなかったと思う

あと黄皓が権力者たりえたのは劉禅の信任あってのことだから
降伏決定後はともかくその前から魏と繋がっていたとは思わない

180 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/23(火) 19:51:36
高校生の時童貞だった僕の学校にはヤリマンで有名な子が何人かいた。中でも一年下の秋代ちゃんや府中さんは超有名なヤンキーギャルで、キモオタの僕はその子達に犯される妄想で何回もオナ二ーした。ある日階段の下からパンツ見たのバレて府中さんに蹴られた。たまんなかった。

181 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/23(火) 20:59:04
>>179
エンウは成都まで行けたんだろうか?いけてたらエンウ&コウコウで
なにかしら生き残り策を講じてたと思うんだが。

ところでコウコウってどうやって生き延びられたんだろう?武将とか
政治家ならその後、使い道あると思うが。宦官って生き延びさせて
その後、魏で働くとかできるんだおるか?

182 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/23(火) 21:20:15
府中さんに蹴られた、たまらなかった

183 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/24(水) 02:21:02
閻宇です

綿竹陥落の噂を聞いた兵士が逃げ出しちゃって開いた口が塞がらなかったんです

184 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/25(木) 20:51:55
なんか荒れてるな。板全体が荒れてるのかね?
昔はもっと落ち着いた板だったんだがなにがあったんだろう?

185 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/25(木) 21:00:57
ヒント クマッタ蛆虫

186 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/25(木) 22:01:40
クマッタが来た六年前くらいからここは糞板と化した

187 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/26(金) 08:07:23
2010年ぐらいになってからやたらあらしが増えたと思う。

188 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/26(金) 12:45:14
手口がWなんとかに粘着してた奴に似てるからコテ粘着が餌を探して人里に出てきたのかも知れんな

189 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/26(金) 23:14:58
昔はじっくり議論できるいい板だったのにな。

190 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/02(金) 12:12:00
あげ。 そろそろ荒らしは収まったかな。

191 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/02(金) 12:36:11
ブス雲先生が高岡ふぁびょるくんと百原博史に輪姦されたって本当ですか?

192 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/06(火) 21:19:15
生姜の兵馬の権を早く奪って閻宇に渡していれば蜀はあと30年は続いただろうに

193 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/06(火) 23:14:01
>>192
どうだろ
姜維から兵馬の権を奪うということは
専守防衛に徹するということだろうけど
後任が閻宇だったら260年ぐらいだから既に遅いと思う

せめて費褘生存中にやらないと間に合わないのでは
(でも費褘は制御できてたんだよな…郭循さえいなければ)

194 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/07(水) 06:50:09
>>193
費 が生姜に制約を加えて、一万の兵しか与えなかったのは、先見の明があったと思う

195 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/09(金) 21:17:45
いやあそれはどうだろう?時間がたてばたつほど魏を倒すのは
困難になるだけだと思う。

196 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/09(金) 21:55:04
その間に孔明なんか目じゃないよというくらいのスーパー宰相が蜀に生まれるかも知れないという可能性に賭けた

197 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/11(日) 17:45:52
攻めさせて撃退を繰り返してたら、いくら魏でも国内で怨嗟の声が高まって自滅してたんじゃないかな


198 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/11(日) 20:46:00
無理でしょ。国力差がかなりあるんだから
守ってるだけじゃ勝てないよ

199 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/11(日) 23:31:01
なんだかんだで呉の情勢に依存してる部分はあるよね
二宮の乱が起こらなければ、呉は国力も人材も維持したまま
魏を牽制することができたわけだし

結局、一国だけで生き残りを図るには、あまりにも国力が開きすぎて
しまっていたわけで

200 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/12(月) 08:07:40
孔明時代にすこしでも領土広げておけば良かったんだよな。
孔明は大勝狙いすぎたのかね。

201 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/12(月) 09:33:31
孔明の戦略は堅実極まりなかったために大勝ちできなかった

202 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/12(月) 09:55:30
山超えたとこにちょっと領土持ってても維持難しいから野戦軍の撃破を狙ってたんだろうが
お前はゲームでもやってろ

203 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/12(月) 15:35:20
諸葛瞻が合戦を挑まず緜竹に立て篭もり、霍弋らと連係して挟撃すれば、蜀漢滅亡は防げた

204 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/12(月) 15:49:20
首都防衛が任務の諸葛瞻が籠城して敵をスルー、
まだ呼んでもいない霍弋とケ艾を挟撃するのかね。

205 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/12(月) 16:45:42
魏も政情不安だよ
三叛の乱がもっとgdgdになれば勝てた

206 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/12(月) 18:59:07
外から攻めるんじゃなくて。内乱を扇動するような作戦
建てたほうがよかったのかもな。


207 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/12(月) 22:19:59
>>206
関東に動揺を与えるような成果を挙げるには
成功率に目をつぶって魏延案のような大冒険をするしかないだろう
(長安奪って更にプラスがあるようなことしないと)

208 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/13(火) 10:09:54
魏延は諸葛亮に従って出陣するたびに、いつも一万の兵を要請して、諸葛亮とちがう道をとり潼関で落ち合って、韓信の故事にならいたいと願ったが、諸葛亮は制止して許さなかった

魏延カワイソス

209 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/19(月) 23:12:46
諸葛亮は無難な策しか取れないから

210 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/24(土) 01:55:59
蜀は負けたら後がないからな
段谷とかもそうだし

211 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/24(土) 02:09:45
スレタイに沿うなら、董厥と諸葛瞻と黄皓は馴れ合いで維持してる自分達の権力を失いくたないから、
国を滅ぼす可能性がある姜維の北伐を辞めさせたかった。
閻宇は南中と永安の都督を歴任した政治家肌の軍人で、中央に従順だったから担ぎ出されたんだろうな。

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