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諸葛瞻と閻宇は何をしたかったのか?

1 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/04(木) 18:26:22
閻宇(エンウ)。

キョウイが北伐してるときに対呉を担当してた人。
おそらくキョウイに次ぐ将だったはずなのに三国志正史蜀書には
エンウの伝は一切なし。諸葛センが反キョウイに周りキョウイと
エンウを交代させようとした時に名前だけ出てきた人物

このエンウが何を考えていて、どのような人物だったかが分かれば
蜀末期の事情が浮き彫りになると思いたててみた。

2 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/04(木) 18:29:40
お、建てれた。

スレタイ本当は「閻宇エンウ」だけにしたかったんだが。さすがに
それだけじゃ駄目かなと思い諸葛センもつけてみた。

エンウに関しては本当に史料が少ないんだよね。魏に攻められてる時とか
何してたんだろう?謎が多いと思う。そして正史の作者とおそらく同時代なのに
正史の扱いの悪さが一番の謎だと思う。

3 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/04(木) 18:32:10
蛆虫

4 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/04(木) 18:54:41
凡庸だから扱い悪かったんじゃね?
そもそも対呉戦線を構築する気がないなら、凡庸で問題起こさない奴で十分勤まる

諸葛センが凡庸であったかはこれから議論すればいいとしても、
北伐とか攻勢に反対した諸葛センの対応考えれば、あーでもないこーでもない言って来る
姜維のような性格とは異なる人物を連れて来たと考えれば合点がいく
軍事指揮官としてはさほど切れがなく、凡庸だが温厚な人物だったと考えれば
そいつに伝が残るほどの事績がないのも不思議なことじゃないだろ

5 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/04(木) 19:37:37
障害児乙

6 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/04(木) 19:42:23
しかもいきなりの自演スタート
もう痛々しいなんてレベルじゃねーぞコレ

7 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/04(木) 19:52:36
スーパーサイヤ人3

8 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/04(木) 19:57:12
>>4
けど呉だよ?すぐ裏切るで有名な呉に対して凡庸な奴を
送れないでしょ。そこそこ実力はあったと思うが。

ていうか三国志正史の蜀書だと末期の対魏方面の事は
よく書かれてるけど。対呉はほとんど書かれてないんだよな。そんなに
呉といざこざなかったんだろうか。

9 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/04(木) 19:59:25
自演で荒らす基地外蛆虫

10 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/04(木) 20:01:46
資料はちゃんとまとめてから勃てたんだろうな、生姜

11 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/04(木) 20:48:00
>>1
いますぐ死ね

12 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/04(木) 20:51:49
おまえが死ね蛆虫

13 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/04(木) 21:11:43
生姜は何円?

14 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/04(木) 21:13:08
また1のコントがはじまったよ

15 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/04(木) 21:13:58
諸葛瞻と閻宇よりも、生姜の性懲りの無さの方が気になる件

16 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/04(木) 21:16:08
生姜叩きはこっちでやれ
http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1267254676/

17 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/04(木) 21:39:39
生姜死ね

18 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/04(木) 22:03:31
ノ::::゙、 ヽヽヽヽ ゙、
ヘ:::::::::;;: -‐''''""( )1
 ゙、::::::::-‐''""" ̄"'i
  :V;;||:::: '~ニ=ッ, r='|
  i!f !:::::      ゙、i
  i!ゝ!::::     ‐/リ
  i::/:、 :::、  /''ii'V
  ̄ハ:::::\ "''il|バ''
ショカツリョウ
諸葛亮 曰く、

>>1
障害児氏ね

19 :1:2010/03/04(木) 23:36:52
まあ、諸葛センとエンウというかなりマイナー所のスレだから
ゆっくりと進めて行きたい。

多分この二人の事知らない人の方が多いだろうから、明日あたり
三国志正史蜀書から重要部分を書き出してみる。


20 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/04(木) 23:41:56
>>19
死ね

21 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/04(木) 23:47:10
新参に舐められないようにあいつらが知らないような
マイナーな武将のスレ立てました(笑)


22 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/05(金) 00:04:43
諸葛瞻がマイナーとかありえん、ここは三戦板だぞ

23 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/05(金) 00:21:51
>>8
蜀と呉のいざこざは大抵蜀が原因だから
蜀が何もしなければ波風たたない

24 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/05(金) 01:00:13
つうか生姜がちゃんと漢字を使い続ければ波風たたない
  *     です   +  
     n      n
 + (ヨ(* ^+^)E)
      Y     Y    *

25 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/05(金) 02:07:55
>多分この二人の事知らない人の方が多いだろうから、明日あたり
>三国志正史蜀書から重要部分を書き出してみる。
別に書かなくていいよ。
孔明スレでバカにされたから新参に知識をアピールしたいだけなんだろ?

それよりも頭が悪いの治さないとどうしようもないぞお前

26 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/05(金) 13:22:13
>>19
無理だとは思いつつも、一応お願いしてみることにする。

今までのように「○○は有能、××は無能」と固定観念を前面に出して、
正史の記述を恣意的に切り貼りする行為はやめてくれ。
それでは話が先に進まないし、いつまでたってもネタスレから脱却できない。

あなたがそれをやらなければ色々と話せることもある。

27 :1:2010/03/05(金) 20:25:58
とりあえず部屋掃除してちくま文庫版三国志正史5巻が出てきたので
「エンウ」に関する部分を「トウケツ」って人の所の補足で
「諸葛セン、トウケツはキョウイが戦争を好んで功績がなく、国内が
 疲弊してるのでキョウイを益州刺史にして軍権を奪うように考えた
 諸葛センはエンウとキョウイと交代させるように上奏した」
って書いてある。
でキョウイの欄の所には
「宦官のコウコウらが宮中にいて権力を我が物とし右大将軍のエンウが
 コウコウと結託した。しかもコウコウはひそかにキョウイを廃してエンウを
 立てんと願った」

とある。これだけでかなり情報が込められてるんだよな。

28 :1:2010/03/05(金) 21:29:20
やっぱ諸葛センとエンウはマイナー過ぎたか。誰も付いてこれなくなりそう。

で上で指摘されたんでとりあえずは人物の優劣抜きに語ると上の情報でまず

諸葛センとトウケツが反キョウイだと分かる。でコウコウが中央の政治を取り締まってたわけだ
実質的な権力者はコウコウ。でエンウの方からコウコウに結託したわけだろうけど。

考察としておそらくコウコウは権力だけだったからエンウの持つ兵力が欲しかったんだろうな。
でコウコウとエンウが結託した時点でキョウイは成都から離れざるを得なくなった。
下手したらエンウと戦わなきゃならなくなるから。で状況を巻き返すために北伐をせざるを
得なかったって感じなんだろうね。

29 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/05(金) 21:35:45
【1986オメガトライブ】'86/4〜'88/3
カルロス・トシキ/黒川照家/高島信二/西原俊次
【カルロス・トシキ&オメガトライブ】'88/3〜'91/3
カルロス・トシキ/高島信二/西原俊次/ジョーイ・マッコイ

【主な製作陣】
プロデューサー:藤田浩一
作曲家:和泉常寛
アレンジャー/サウンド・プロデューサー:新川博
作詞家:売野雅勇
レコーディングエンジニア:清水邦彦/内沼映二
コーラス:木戸やすひろ/比山貴咏史
スタジオミュージシャン:有名陣多数

【PAPAYA】
マーティー・ブレイシー(Drams)/ウォーネル・ジョーンズ(Bass)/後藤輝夫(Sax/Perc)/大阪哲也(Key)

30 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/05(金) 22:09:57
ご自分で引用した『(姜維の度重なる出兵により)国内が疲弊してる』についてのご感想は?
陳祗の後を受けて朝政を預かる身になった立場で、
事実として国内が疲弊し、厭戦感が蔓延していたら手を打とうとするのは当然だと思うが。
(やり方が適切だったかどうかという問題は別にあるけど。)
どうしても「反姜維」というフレーズを使いたいようだけど、
姜維の北伐に懸念を抱くことを全て「反姜維」で括るのであれば、
成都はもちろんのこと、両車騎将軍だって該当してしまうぞ。

あと、閻宇の持つ兵力って言ってるけど、それどの程度だったかちゃんと調べてから言ってる?
とてもじゃないが漢中駐屯軍には質量共に遠く及ばないよ。

31 :1:2010/03/05(金) 22:19:07
国内の疲弊についてはキョウイの戦争のせいなのか
コウコウの内政のせいなのかは微妙な所だと思う。

キョウイの戦争で疲弊した部分も少なからずはあったかもしれないが。
内政がよければ戦争してても大丈夫だろうし。曹操だって戦争しまくってたけど
大丈夫だったし。

あとエンウの兵力については蜀書には載ってないから分からないが。
コウコウ、エンウについで諸葛センやトウケツも繋がってるんだから
キョウイからしたらこの勢力は…

ダジャレになってしまうので書かないが

実質蜀は2分してたんじゃないかな。

32 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/05(金) 22:42:18
確かに誰も追いてこれなくなりそうだな。

33 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/05(金) 23:19:01
違う違う行ってるだけのやつよりはましだとおもうぞ

34 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/05(金) 23:57:25
こりゃ誰もついてけーやw

35 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/06(土) 02:01:05
>>8
軍事指揮官として凡庸であるって事は必ずしも無能である事とは違うだろ

百戦して百勝するような人間ではなく、取り柄もないが
呉に喧嘩を売らないぐらいの分別はあったって事
そもそもその程度の分別も持ち合わせてない奴なら高官になる事すら難しい

>>28
>やっぱ諸葛センとエンウはマイナー過ぎたか。誰も付いてこれなくなりそう。

ってかさぁ、その上から目線は荒れる原因になるんじゃね?
正直何の関係もない俺が見てもうぜぇと思えて仕方ないわ
考察としてのレベルも限りなく低いし

>実質的な権力者はコウコウ。でエンウの方からコウコウに結託したわけだろうけど。

ソースがないやん
ソースがないなら閻宇側からアプローチしたと信じるに足るものを何か出そうぜ

>おそらくコウコウは権力だけだったからエンウの持つ兵力が欲しかったんだろうな。
>でコウコウとエンウが結託した時点でキョウイは成都から離れざるを得なくなった。
>下手したらエンウと戦わなきゃならなくなるから。

姜維や漢中駐屯の部隊が内戦を覚悟せざるを得なくなるような方針転換を
匂わせるような記述があったわけ?
あったならご教授いただきたいものだ

>で状況を巻き返すために北伐をせざるを得なかったって感じなんだろうね。

あの…
北伐の意義ってご存知ですか?

36 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/06(土) 09:43:01
仮に、もし仮にだが

>>1が無知蒙昧なアホを装って衆人の興味を掻きたてるスレを立て、盛り上げようと敢えて
道化を演じているのだとしても、>>1の意見に全く面白みがなくてつきあう気にならんのよな
なんせ自分の都合に良い事だけを並べるだけなんで議論にもなっていなけりゃ
進行役にもなれてない

尤もこれが表裏ない姿だとしたら脳や人格に欠陥を抱えた知的障害者でしかない

37 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/06(土) 10:28:34
生姜は何をしたかったのか?
を考察するスレにした方がよさそう

38 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/06(土) 11:25:46
【主な製作陣】
プロデューサー:藤田浩一
作曲家:和泉常寛
アレンジャー/サウンド・プロデューサー:新川博
作詞家:売野雅勇
レコーディングエンジニア:清水邦彦/内沼映二
コーラス:木戸やすひろ/比山貴咏史
スタジオミュージシャン:有名陣多数

39 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/06(土) 11:28:02
海外メディアにはっきり「パニック発作」とかかれましたね。やはり自閉症か。
健常者なら男子が廊下を走ったからといってパニックなど起こさない。
自閉症児に登校拒否が多い。

40 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/06(土) 11:43:46
こうやって関係ないレスを何度も貼れば都合の悪い流れを潰せると思ってるのか、生姜は

41 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/06(土) 12:03:38
あちこちで関係ないレスやAAを貼りまくってるのがいる

42 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/06(土) 12:07:27
いいじゃん、どうせ終わった板なんだし

43 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/06(土) 12:17:20
別に板としては終わってない
生姜の活動が終わったのかもしれないが

44 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/06(土) 12:32:40
>>37姜維sugeeeeをしたかった

― 終 了 ―

45 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/06(土) 12:40:14
ぶっちゃけこの問題について答えられる奴はここにはいないので聞くだけ無駄っていうのもあるよな。

姜維が権力を掌握した過程がわからないと姜維の敵もわからない。

46 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/06(土) 12:47:59
結論:聞くだけ無駄

― 糸冬 了 ―

47 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/06(土) 12:56:38
半年ロムれ糞名無し

48 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/06(土) 13:24:07
>曹操だって戦争しまくってたけど大丈夫だったし
これじゃ頭悪すぎて新参にもバカにされるわなwww

49 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/06(土) 14:51:12
>>47
お前新参か?
ケツの力抜けよ

50 :1:2010/03/06(土) 15:57:33
>>35
ソースって上で三国志正史本文書いて出してるじゃん。
アレ以上のソースあるの?

分かりやすく書くと
「宦官のコウコウらが宮中にいて権力を我が物とし右大将軍のエンウ「が」
 コウコウと結託した。しかもコウコウはひそかにキョウイを廃してエンウを
 立てんと願った」

右大将軍のエンウ「が」コウコウと結託した。

って書いてあるんだよね。コウコウのほうからエンウと結託したなら
右大将軍のエンウ「と」コウコウは結託した。
になるでしょ?

51 :1:2010/03/06(土) 18:15:36
さてついでに諸葛センあたりについても書いておく。

今正史の諸葛センのあたりを読んでるんだがやっぱ記述がすくないんだよな。
孔明の息子だしもっと詳しく書いてもらいたかった。なぜ歴史書なのに末期の奴らは
扱い悪いんだろう。もっと均等に書かないと。

で重要だと思うのは諸葛センの息子が蜀が負けたのはコウコウを斬らなかったからだ
って嘆いてるんだよね。つまり諸葛センの息子はキョウイのせいで蜀が負けたのではなく
コウコウのせいだと思ってるわけ。
諸葛センの息子から見てもコウコウの政治ってのは間違ってたのだろうね。

52 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/06(土) 19:36:59

       魅 統 教 知 総
       力 率 養 力 合
中野区    82 68 88 87 325
ぷらっと   71 86 85 80 322
アンジェ   70 81 86 68 305
学徒出陣   82 68 67 70 297
陳Q      73 62 ? 83 297
Jominian   52 79 82 78 291
宇喜多    70 60 77 75 282
八戸のぶ   66 71 56 81 274
ととのえ   60 77 41 69 247
タケノコ   43 34 89 79 245
神ツコツ   72 39 55 71 237
氷雪     68 55 34 73 230
中山幸盛   58 44 66 60 228
ひょーりみ  59 50 48 55 212
六角先生   49 49 49 37 184
◆W何とか  53 51 21 35 160
石原     31 36 37 46 150
小銀玉    19 17 59 47 142

53 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/06(土) 19:37:48
>右大将軍のエンウ「が」コウコウと結託した。

右大將軍閻宇 與皓協比、而 皓陰欲廢維樹宇。

漢文は成績イマイチだったが、
「右大将軍の閻宇と皓は結託して、皓は密かに維を廃して宇を立てようと考えた」
みたいな意味なんじゃないかと思うんだが。
少なくとも閻宇がすり寄って行ったと解釈できるような文章じゃないと思う。


>諸葛センの息子が蜀が負けたのはコウコウを斬らなかったからだって嘆いてるんだよね。
>つまり諸葛センの息子はキョウイのせいで蜀が負けたのではなくコウコウのせいだと思ってるわけ。
>諸葛センの息子から見てもコウコウの政治ってのは間違ってたのだろうね。

華陽国志から引いてる台詞だから当時の蜀にそういう逸話が流布していた可能性はあるだろう。
でも蜀贔屓の裴松之が喜びそうなネタだから注に採録されてる時点で印象操作を狙ってる可能性がある。
本当に言っていたとして享年二十歳以下だろう諸葛尚がどれほど政情を理解していたか分らん。

54 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/06(土) 21:06:39
>>53
原文だされたら。俺も中国語は知らんし。詳しくは分からないけど
あそこあたりコウコウが主語になってるのに、その文だけエンウが主語になってる
からエンウが何かしたと思うんだが。じゃなきゃ普通に「コウコウが〜〜した」ってなると思う

ただこのちくま文庫版は結構日本語おかしい所あるから断言はできないけど。

55 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/06(土) 23:05:09
婉曲に言っても分からんようだからはっきり言うが、
文のニュアンスから行間を読みたいんなら原文に当たるべきだし、
訳文すらあえて我田引水的に解釈しなければ閻宇から黄皓に阿ったようには読めない。
言葉尻を恣意的に解釈するのは行間を読むとも考察とも言わない。

原文はこの辺から見ればいい。
ちくま訳と併読すれば最低限の読解はできるはずだ。
http://zh.wikisource.org/wiki/%E5%8F%B2%E6%9B%B8

56 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/06(土) 23:46:24
横レスだが、1が正しいと思う

57 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/07(日) 01:34:45
>>50
>右大将軍のエンウ「が」コウコウと結託した。

閻宇が黄皓と関係を持った事は>>53氏も出してる

右大將軍閻宇 與皓協比、而 皓陰欲廢維樹宇

から理解できるが、それが閻宇側からのアプローチの
結果とは言い切れないそれは上の文章見たら理解できるでしょ
この文章でそんな事どこにも書いてないんだから
で、ソースは何なのさ?

58 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/07(日) 01:51:39
横レスだが、>>57が正しいと思う

59 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/07(日) 01:56:16
そもそも>>1>>28での「考察」は閻宇が黄皓にアプローチした
結果じゃないと成り立たないんだよな

そこの肝心な所を行間を読むだのちくま文庫版の主語がどうだの
語って誤魔化してるから話がおかしくなってる訳で
そこをきちんと確認しないで考察だって言うとか意味不明だろ

60 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/07(日) 10:45:38
「與」は「ともに」とも読めるが、「組する」とも読める。

『右大将軍閻宇は黄皓と組し親しんだ。
そこで黄皓は姜維を廃して閻宇を立てようと密かに考えた。』


ふたりで結託して廃しようと考えたのではなく、
仲が良かったからそっちを立てようと黄皓は考えた。

こうだろう。


>>28には同意できんが。

61 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/07(日) 15:43:33
諸葛センの立ち居地ってどうだったのかね?
よく諸葛センが政治の実権握ったのは最後の3年ぐらい
みたいな事聞くんだけど。孔明の息子なんだから役職以上の権力は
あったと思う。

でコウコウとの距離なんだけど。べったリだったのか、あるいはセンはセンで
多少勢力があってコウコウと手を握ったのかでまたいろいろ変わってくる。

実際諸葛センとトウケツは最後の戦いに出陣してるし。何がしたかったのか。
キョウイじゃなきゃ勝てないのは解っていたんだろうか?

62 :ホモちゃん ◆rfq0gJoXn. :2010/03/07(日) 21:25:57
あう〜♪あう〜♪
            ___
          . . :´: : : : : : :ミ: 、
       / : : : : : : : :\ : : : \
      /: : : : :′: : : : : : :ヽ : : : ヽ
      .′: : : :|: : : : : : : : : : : : : : : .
      |: :| : : :イ: : : ト: : : : : : !: i:. :|
      |ノ:|: _/イト: : ト廴ヽ: : :|ヽ:. : :!
    /}:ハ: !       \、|: |: :ト:|
       |: : :V. へ  , へ  :ソ: l:. :|リ   
     ル'| : :.} xx (OO) _ xx.  }: : :| }ノ`ヽ
       |人:{人  (, ̄,,|   イ: : :ル'   {
      V ` \  ̄‖ _.ノ}:/ }   }
       }  >――r―‐<  /  / /
       | /   ミ厂 ̄{彡  `ヽノ   !
      ノ_}  个i′  `ー‐、 ∨  {
       [_ノ  {ニ}シ也 シ召 i}  ヽ二}
      {   厂 r‐y‐、  '|   `T′
      丶__ノ   ヽ. ノ   人    /

63 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/07(日) 21:46:59
またカタカナ君か

64 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/07(日) 21:50:40
懲りないな

65 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/08(月) 13:33:41
まともに会話もできないアホの立てたスレでまじめに語ろうなんて人はおらんよ

66 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/09(火) 00:18:06
あげ

67 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/09(火) 01:13:55
>>61
センはコウコウにベッタリだよ

68 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/09(火) 22:07:06
実際、閻宇って蜀滅亡の時なにしてたの?

69 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/09(火) 22:15:53
おなにーだよ

70 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/10(水) 08:27:09
>>68
魏軍の蜀侵攻。
    ↓
閻宇が兵(兵数不明。最低8000人くらい?)を率いて成都を救援。
    ↓
永安の守備に兵2000人を残し、羅憲に任せる。
    ↓
成都陥落。閻宇が永安へ引き返す。
    ↓
事後方針で対立。閻宇が羅憲に斬られる。閻宇の兵を吸収。
    ↓
羅憲が呉の陸抗らの蜀救援を拒否して、呉を追い払う。
    ↓
洛陽に参内。司馬炎に陳寿らを推薦する。

71 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/10(水) 12:18:33
相応しい最後だな

72 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/10(水) 14:55:59
 霍峻伝に付属する羅憲の記述によると当時、黄皓が実権を握り、彼に追随するものが多数いたが、羅憲だけが同調しなかったとある。
諸葛亮伝に付随する董厥の記述をみると、諸葛瞻・董厥・樊建が政務を担当し、姜維がつねに征伐で外地にいるようになってから宦官の黄皓が
政治の実権をほしいままにしたが、みな互いにかばいあって政治を矯正することができなかった。ただ、樊建だけは黄皓と特に親しく往来することがなかったとある。
つまり、諸葛瞻と董厥は黄皓に追随した側の人間ということになり、黄皓のおかげで昇進したということになる。
このことは、逆にいうと羅憲と樊建以外は全員黄皓とグルだったということになる。

73 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/10(水) 17:52:20
>>68
閻宇が羅憲に守備を任せた後、どうなったかなんて記述あったか?
増援に向かった後の動向は不明じゃないの

>>72
郤正みたいに睨まれなかった人も、出世しない状況だからね
黄皓が政治権力を握った結果、出世や左遷といった人物の進退が彼の手に握られたのは確か
羅憲の件を見れば分かる通り、少なくとも健全、公正な状況ではなかったようだ
陳祗死後の蜀漢のガタガタっぷりはひどいね
黄皓を引き立てたのも陳祗だけど、陳祗生存中はまだ官位も低いし、押さえ込む事は出来てたようだが、
段谷の敗北+陳祗死亡+姜維の事後対応の稚拙さで、もうどうしようもなくなったような印象を受ける

74 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/10(水) 20:35:24
黄皓は董卓に引けを取らない英傑だな。

75 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/11(木) 07:13:57
>>73
永安が混乱した際に羅憲が一人を斬って収拾させたとあるけど
もし斬られたのが閻宇だったら当然明記されるだろうから
少なくとも閻宇その他の名のある者ではなかったと思う

76 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/11(木) 08:47:37
私も凄い短小を見た事がある…
通常サイズだと毛で隠れて全く見えなかった(汗)

勃起すると親指の第1間接くらいのサイズ…

更にビックリしたのがフェラをしていたらいきなり射精をしたんだけど
口にシャワーを当てているのかと思ったくらい、勢いと量が凄かった…

自分はビチョビチョだしベットには水溜まりが出来てた(;-_-)

77 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/11(木) 11:35:09
>>75
確かに何も無いのであれば、書くのは当然。
ただ、何かあったのであれば、明記しないのが当然。
陳寿にとって羅憲は派閥の先輩であると同時に、
自分を晋王朝に引き立ててくれた恩人。
本来ならば、1人斬ったという
くだりですら書くのは憚るべきだった。
羅憲が死んでいたから書けたのだろう。

78 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/11(木) 11:39:44
>>75
羅憲は呉軍を撃退しているが、
残された兵士は、わずか2000で相手は陸抗。
どう考えても半年持ちこたえるのは難しい。
となると、羅憲の軍は2000では無かったと考えるべき。
では、何処から兵士を補充したのかと考えると、
永安に引き返した閻宇の本隊が合流したことが考えられる。
もしそうであるならば、なぜ閻宇では無く、
副将の羅憲が軍の指揮を取ったのだろうか。
答えは閻宇が死んでいたからとなる。



但し、閻宇が斬られたというのは、こじつけに過ぎないので、俗説の域は超えないことは明らか。

79 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/11(木) 12:33:52
いつも思うが、この戦役の話になると何故に主将が陸抗であるかの様に語る人が多いのか

80 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/11(木) 12:42:06
今、ふと、思い出したので、書いておこう。
お笑いの二人組で名前(コンビ名)はわからないが、
もう10年以上も前にブレイクした(それほどではないのかも知れないが・・・)。
二人とも常にスーツ姿だったが、
片方の男がスケッチブックのようなモノを持っていて、
もう片方の男が、「悲しいとき!」と言い、
相方がそれに続いて「悲しいとき!」と言い、
スケッチブックに描かれた内容を、やはり、二人で繰り返し言う・・・というモノ。
この二人組、或る時期からすっかりテレビに出なくなり、
最初は気にしていたが、そのうち、気にも留めなくなり、
やがて、コンビ名までも忘れた。
この二人組、今、どうしているのだろうか?

81 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/11(木) 13:31:25
>>78
えっ?そんなどうでもいいところイチイチ説明せにゃいかんのか?文字の無駄だろ。


82 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/11(木) 13:31:47
アンカー間違えたw

83 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/11(木) 13:38:29
で、主将は誰なの?

84 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/11(木) 14:53:54
悲しいとき!!

85 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/11(木) 20:06:51
>>79
三国志末期に詳しくて陸抗に高い評価を置いてる人はジョミさんだよ

86 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/11(木) 20:34:03
悲しいとき!

三戦に来てしまったとき

87 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/11(木) 21:41:28
>>77
閻宇は黄皓と親しかったとされていて
蜀漢滅亡後に(黄皓ともども)評価された形跡はない
だから西晋以降の史書において閻宇を斬ったことを「憚る」必要はない

また別に習鑿歯が特に閻宇に遠慮する理由も見当たらないから
羅憲が閻宇を斬ったのであればそれを書かない理由はない


88 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/11(木) 21:59:33
>本来ならば、1人斬ったという
>くだりですら書くのは憚るべきだった。
この理屈はわからないな
一人斬って恐慌を鎮めるのは良将の事績だ。
陳寿は嬉々として恩人の手柄を書き記しただろうに。

89 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/11(木) 22:41:47
>>87
前半意味不明。具体的な書物がわからん。

後半は習鑿歯は閻宇に遠慮する必要はないけど、羅憲には遠慮する必要がある。

物事の中心は羅憲であって閻宇では無い。

90 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/11(木) 22:44:18
>>88
当然のことながら(もし切った一人というのが閻宇のことであるのならば)
という仮定が抜けているけど、文脈でわかるだろ。

そもそも永安が騒ぎになったけど一人切ったから静まったといういトピックを
三国志においてわざわざ書くようなレベルの内容かというのが根底にある。







91 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/11(木) 22:47:24
閻宇は荊州南郡で羅憲は襄陽。習鑿歯は襄陽だったかな。
ただ閻宇は巴西の豪族である閻氏と何らかの繋がりがあった可能性はゼロではない。

92 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/11(木) 23:22:31
>>90
ごめん
羅憲の一連の活躍が記されているのは確認したら「三国志」ではなく「襄陽記」だったわ。
陳寿は何も絡んでない。


93 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/12(金) 00:30:35
>>83
陸抗ではないとしたら歩協では

94 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/12(金) 07:08:57
>>89
>閻宇は黄皓と親しかったとされていて
これは三国志姜維伝及び華陽國志劉二牧志
(確かに親しかったというより協力したという言い方だけど)

>蜀漢滅亡後に(黄皓ともども)評価された形跡はない
三国志では閻宇は「馬忠に及ばなかった後任」としてのみ書かれて
他にはほとんど記録がない

>だから西晋以降の史書において閻宇を斬ったことを「憚る」必要はない
閻宇が永安を混乱させて羅憲に斬られたからといって
それを伏せなければならない程閻宇に遠慮する理由はない
ましてそれで成功した羅憲に遠慮する必要なんてあるはずがない。


95 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/12(金) 12:40:55
OK,短小非童貞だが答えるぜ。
マジレスすると正直、赤ん坊ぐらいにしか勝つ自信は無い。
こないだ公衆トイレで用を足してるとき、隣に5歳〜7歳ぐらい?の男の子が立ったんだが
彼のを一瞥したら俺のより長かった。俺のは平常時3cmから4cm程度、彼のは推定5cmぐらいだった。

96 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/12(金) 15:35:11
ちんぴょこ

97 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/12(金) 16:38:53
これは勃たざるを得ない

98 :勃起 ◆VzgxTOiYuo :2010/03/12(金) 17:37:37
立つぞ!!

99 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/12(金) 19:36:10
このスレは呪われています。

100 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/12(金) 20:55:32
>>94
華陽国志は三国志の内容を補う記述が多けれども、この部分は賛同できない、
黄皓はは中常侍であり、おそらく彼の意向により諸葛瞻や董厥が重職を務めることに
なったわけだから、「ただの遣い走り」なわけが無い。
それから20年近くも前に死んだ董允の名前が出てくるのも不自然だ。
実際は董允死亡時、黄皓は黄門丞でしかなかったのは事実だけれども、
陳祗の死亡時のときも黄門令だ。昇進はしているがそれほどというものでも無い。
これはおそらく当時の巴西太守が董允の孫である董宏だったことが
不自然なほどに董允を持ち上げている理由なんだろう。董允伝は注意して読む必要がある。

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