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周瑜の天下二分の計考察スレ

1 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/13(日) 22:11:20
ただいま曹操は敗戦の憂き目を見たばかりで、
自分の身辺から変事が起こるのではないかと心配いたしており、
とても孫権さまと兵を動員して戦いを挑み合うといった余裕はございません。
どうか孫瑜さまとともに軍を進めて蜀を奪取することをお認めくださいますように。
蜀を手中にしましたあと、張魯を併呑し、そのうえで孫瑜さまにその地に留まって守りを固めていただけば、馬超との同盟関係もうまく結べます。
私は、蜀よりもどり、孫権さまとともに穰陽を根拠地として曹操を追いつめてゆけば、北方制覇も夢ではないのでございます。

周瑜が生きていたとして、この戦略について考察するスレです

2 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/13(日) 22:15:02
問題点
・蜀攻めが上手くいくのか
・曹操軍の動向
・劉備軍の扱い

こんなところでしょうか

上手く行けば馬超の存在から、実際の天下三分よりは天下穫りには有利でしょう

3 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/13(日) 22:17:51
けいしゅうがこわい

4 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/13(日) 22:25:12
周瑜を暗殺したのは劉備だからな。
この策に危険を感じてたって事だろ。

5 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/14(月) 01:03:31
>>2
馬超らの野心がいか程かにもよるんだが、
基本的に涼州から来る方が南方よりも遥かに都にアクセスが容易なんで、
曹操はそっちに神経を使わざるを得ないと思う。

我々はその後の歴史を知ってるから呉や劉備を重視するのを自然に感じるが、
当時10万人規模で軍を動かすなんて全盛期の袁紹勢力に匹敵する脅威で、
赤壁に合わせて五万程度の孫・劉連合よりよっぽど恐ろしい。

6 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/14(月) 17:24:47
>>5
だからこそ周瑜が蜀を素早く落とせたらかなり対曹操で有利にはなるんじゃないか?
馬超との同盟が上手く行けば長安奪取も余裕、さらに荊州からの進軍で曹操もヤバいだろう

7 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/14(月) 17:29:19
馬超、曹操、臧覇
周瑜、劉備、孫権

で曹操をあぼーんする

8 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/14(月) 17:31:45
馬超、曹操、臧覇
孫瑜、周瑜、孫権

9 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/14(月) 17:34:39
魯粛の方が、天下二分の計を考案してた件について

10 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/14(月) 17:53:59
劉備も孫権も上に立ちたい人間だから駄目だよ。
涼州連合みたいに内部分裂してあぼーんが関の山

11 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/14(月) 20:39:47
>>4
劉備が諸悪の根源のように感じる

12 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/14(月) 20:40:57
劉備との関係は難しいところだわな

ただ蜀を抑えた時に劉備が何か出来るかってーと疑問

曹操押し込むまでは孫権と合流せざるを得ないんじゃないか

13 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/14(月) 21:23:01
そういや曹操、劉備、孫権それぞれの暗殺説があるんだよな

凄い状況だw

14 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/14(月) 21:34:34
劉備が暗殺したのは周瑜とほう統だっけか

他にもいそうだけど

15 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/15(火) 08:33:01
>>6
5は>>2のいう「曹操軍の動向」に対応していて、
「馬超らへの対応がより重要なんで南部に手は出せないだろう」が俺の結論。
勿論攻略が早まる程有利だろうし、最悪滅んでいても南部をほぼ一元的に統治できれば史実よりは展望がある。


蜀攻めが上手くいくかどうかは、張魯の動向が鍵かな。
家族を劉璋に殺されてるんで、こいつが本格侵攻を開始すると劉璋の首がマジでヤバイ。
あっさり呉に靡く可能性すらアリ。

16 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/15(火) 09:02:12
史実の周瑜死亡から馬超滅亡、劉備蜀奪取、曹操の漢中併呑までの年表ってどんな感じだっけ?

17 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/15(火) 09:15:26
210 周瑜死亡。劉備の南郡進出
211 ドウ関の戦い
213 入蜀
214 成都包囲。馬超帰順。劉ショウ降伏
215 魯粛の侵攻。劉備が布陣。張魯降伏。荊州分割

18 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/15(火) 09:50:20
>>17
サンクス

じゃあかなりの短期間で張魯併呑まで持って行かないと馬超が危ないな

いけるのか?

19 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/15(火) 09:58:41
最近の三戦にしては珍しくマトモに三国志を語るスレ

水軍中心の呉軍が山岳地帯の蜀を1〜2年ですんなりと攻略できるかどうかが疑問
劉備は騙し討ちから戦を始めた訳だし

20 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/15(火) 11:24:46
>>19
意外に忘れられガチなのが四川や三峡がモロに長江流域だということ。
むしろ優れた船舶装備は武器の一つと考えて良い。

そして揚州も中心部から離れた南部は山脈が多い。
例えば賀斉の伝を見ると険阻な山奥での戦闘の様子が窺える。
辺境で山越討伐に従事してるような人間は、山岳討伐の経験も少なくないんじゃないかな。

21 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/15(火) 11:25:56
劉備と孫権が折り合いをつける
馬超が持久戦してくれる
入蜀が成功する
それまで周瑜が生きてる

四重の奇跡だな

22 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/15(火) 11:30:54
劉備がごねれば終わり

23 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/15(火) 12:04:26
>>21
一番下から逆算して考えると、
周瑜がもし長生きした場合、侵攻は210年スタートする。

周瑜伝にある通り、この時張魯が侵攻を開始していることが契機なので、
防備は北方に重点的に割り振られていると思われる。

ここで考えられるのが2ケース
・劉璋が呉側の進軍にビビッて急遽張魯と講和する→侵攻が困難になる。
・二方面からの圧迫に益州内が更に混乱する    →内応者の手引きも期待できる。

上にも書いたが、張魯にとっては肉親の仇なんで上の見込みは低いと思うが、
時は乱世なんでないとは言えない。下だと話は早い。
そもそも劉璋の国内での求心力の低下が、実際に劉備に国を取られた一番の要因。
益州を根拠地とする(だろう)劉備と比べると、内応する旨みにやや欠ける気もするが、
劉備の方も制圧後荊州派を基盤としてたりするんで、器の問題なんだろう。

馬超の動向だが、史実通りに進んでも戦争の終結は211年の12月、
都に戻ったのは明けて212年のことなので、仮に2年かけても侵攻自体に影響は与えない。
勿論、丸々二年かけて涼州勢力が滅んでしまうと、その後の南北決戦の勝率は下がる。

というわけで、作戦自体の成功の目はかなり高いと個人的には思うが、
劉備との折り合いが、多分一番難しい。

単純に考えると、勢力の大きい孫権側がゴリ押しできそうにも思えるが、
妥協の余地が大きいのも余力のある孫権側なんで、瀬戸際外交を迫ってこないとも言えず、
マジで>>22の一言でそのまま終わっちゃうことも十分考えられる。

24 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/15(火) 13:18:04
そこで劉備擁立説ですね

周瑜が関張使って北上となると曹操もチビる

25 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/15(火) 13:33:11
皇帝:劉備
皇太子:孫夫人の子
太師:孫権

太尉:周瑜
司徒:張昭
司空:諸葛亮

大将軍:孫権
驃騎将軍:馬超
車騎将軍:韓遂
衛将軍:孫瑜

前将軍:関羽
後将軍:呂範
左将軍:張飛
右将軍:呂蒙

26 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/15(火) 14:10:26
甘寧も天下二分を唱えたのに無視されてる件

27 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/15(火) 17:18:50
>>25-26
元々君主としての支配権が微妙で、張昭・周瑜がバックに立つことによって一応の確立をみたぐらいなのに、
形式上でも劉備の前の臣下として相対化されたら、孫権(孫家)の立場は崩壊するんでないかと。

28 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/15(火) 17:24:18
劉備の漢を豪族連合にシフトしての吸収合併なんだから当然だろう
孫権がCEOから重役の一人になるだけの話

29 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/15(火) 17:31:09
>>28
その当然の帰結からして、孫権の取るべき選択肢としてはありえないのではないだろうか。
君主権の放棄を迫れるような局面とも思えない。

30 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/15(火) 17:38:17
だって周瑜の自己実現が第一の計画だし

31 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/15(火) 18:24:32
>>30
周瑜の自己実現って具体的になにさ?
それが読み取れる部分と併せて教えて欲しいわ。

32 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/15(火) 18:50:16
ただいま曹操は敗戦の憂き目を見たばかりで、
自分の身辺から変事が起こるのではないかと心配いたしており、
とても孫権さまと兵を動員して戦いを挑み合うといった余裕はございません。
どうか孫瑜さまとともに軍を進めて蜀を奪取することをお認めくださいますように。
蜀を手中にしましたあと、張魯を併呑し、そのうえで孫瑜さまにその地に留まって守りを固めていただけば、馬超との同盟関係もうまく結べます。
私は、蜀よりもどり、孫権さまとともに穰陽を根拠地として曹操を追いつめてゆけば、北方制覇も夢ではないのでございます。


hore

33 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/15(火) 19:12:19
所謂トラタヌ

34 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/15(火) 19:24:07
>>32
そこに劉備の擁立(孫権の君主権の放棄)をよしとするような部分は見受けられないが。

35 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/15(火) 19:35:25
>>29
要は劉協に対する曹操、劉備に対する孫権になるっ話なら選択肢としてもアリじゃないの?

36 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/15(火) 19:38:50
>>34
病死寸前の男だぞ
今の鳩山みたいな状態だったんだろう
肝心の部分に言及してないのは当然

37 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/15(火) 19:41:21
ふーん
キチガイドリーマー状態ということか

38 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/15(火) 19:42:31
宮殿を作り美女をやって劉備を呉に置いとくって提案じゃないの

39 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/15(火) 19:45:10
名だけ与えて実を取る作戦

40 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/15(火) 19:53:08
>>35
元々曹操は本人の代で建てた勢力だし、後漢組織の中でもエリート出身で、
しかも親族で中核軍を固めてた。

一方の孫権は勢力を兄から引き継いだ存在で、元もとの地位も部下たちと同格で、
軍権は広く拡散してる。

諸将に対する優位性が全然違う。

……ここまで書いて思いついたが、曹丕に引き継ぐ時はこの問題を解決するため、
曹操の生前に魏王国を建設して、曹氏の諸将に対する優位性をあらかじめ誇示していた。
これに倣って漢王朝・呉王国体制でもとればまぁなくはない、のかな?

41 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/15(火) 19:56:29
>>36
その「肝心の部分」とやらを示唆する根拠もなく、
「だって周瑜の自己実現が第一の計画だし」と当然のように断定されても困るぜ。

42 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/15(火) 20:01:53
>>41
自分という存在を最大限に好意的に解釈した結果の戦略だからな
俺がいればこうなる!という自負心ばかりで砂上の楼閣に等しい
魯粛の方が柔軟性があるんじゃないの

43 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/15(火) 20:10:04
柔軟性に関して魯粛は諸葛亮よりも上だろうな

44 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/15(火) 20:16:32
>>25
なにこの「ぼくがかんがえたさいきょうのていこく」

45 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/15(火) 20:19:53
>>44
へへへ、どーだすごいだろー
徹夜で寝ないで考えたんだぜ

46 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/15(火) 22:05:54
四征将軍や四鎮将軍がないぞ

47 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/15(火) 22:57:46
>>42
どうにも会話が成立していない気がするんだが……
>>30のような主張の根拠を聞いてるんだよ?

その「自分という存在を〜」って、俺の勘違いじゃなきゃ周瑜のこと?
もしそうなら話がズレてる。

48 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/16(水) 04:51:06
とりあえず周瑜に関しては天下統一が最大事業だったんだろう

その点に関しては魯粛、諸葛亮よりかは突出してたであろう

後の歴史が示す通り、天下三分では乱世の収束は難しい

延命策を取るか乾坤一擲の賭けにでるか、で言うと周瑜の策は本当に最後の策のように感じる

49 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/16(水) 13:46:32
荊州、益州の利権争奪戦

50 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/16(水) 16:17:02
天下統一
天下二分(南北or東西)
天下三分
天下四分(河北、山東、関中、四川、江南)
群雄割拠

51 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/16(水) 18:45:22
>>48
おいおい魯粛、諸葛亮の天下三分も最終的には統一が目標だったんだぜ
まあ曹操の死を待って魏に攻め込もうという弱腰な策ではあったが

52 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/16(水) 20:52:05
曹操は凄いから仕方ない

53 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/16(水) 22:53:04
現実的に曹操が死んだら漢王朝が破綻するという読みだったんじゃないかな?
そこで一気に攻め込んで光武帝のようになれれば完璧という戦略

54 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/17(木) 01:54:38
ちょっと思ったんだけど、天下二分の計とかよく言われてるけど、孫権、曹操、馬超の天下三分の計じゃないか

55 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/17(木) 01:58:00
>>54
天才現る

56 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/17(木) 07:39:12
昔同じようなスレ立った時には呉ヲタのオナニースレと化してたな
ちょっとでも否定的なレスをする奴が来ると「成功すると結論が出てる」と閉め出してた。

57 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/17(木) 18:17:34
劉備と愉快な仲間達を皆殺しにして、兵だけいただいた方がまだ上手くいきそうだな。
劉備と組むのはメリットよりもデメリットの方がでかいだろう。

58 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/17(木) 19:23:19
>>57
やっかいな問題として、劉備が地域で一定の信望を集めてる点。

難癖付けて殺害した場合、孫権の信用に傷が付くし、
今後ある程度の勢力を抱えた有力者の帰順は難しくなる可能性が高そう。

59 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/17(木) 19:59:48
蜀奪取成功した後に劉備が南、交州に向かったりはしないかなぁ

すんげぇグダグダになりそうだけど

60 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/17(木) 20:48:53
いつの間に劉備は全国区の名声をゲットしたんだろうか

61 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/17(木) 22:35:06
十数万の民衆がわざわざついて来るくらいだから、人望はあるんじゃね?
曹操や公孫サンの例を見る限り、人心を集めている人物を殺すのは良策とは言えない

62 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/17(木) 23:17:20
しかも皇室に連なる人物で何もなしに殺害とかすりゃ対曹操での大義名分も何もなくなるしな

劉備の扱いは本当に厄介

63 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/17(木) 23:21:37
大人しく領土と兵を提供すればいいよ
豪族連合以上の何でもないんだから天下取るにはそれくらいの無茶しなきゃな
元を取るのは王朝築いてからで十分

64 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/17(木) 23:31:54
この時代劉姓以外の天下を目指す者にとっては漢の存在が非常に厄介だよ
五胡南北朝の頃ならもっと好き勝手出来るのに

65 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/18(金) 19:24:25
>>62
劉虞を殺したことで幽州での人望を失った、という事例もあるぐらいだしね。

まぁこれは本人の名声に拠る所も大きいと思うので、
「皇室に連なる人物」だったことだけが理由とは言い切れないが、
劉備の名声も高いので、殺すと都合が悪いには違いない。

更に言うと反曹云々より、荊州での影響力が大きいような気がする。

66 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/19(土) 02:56:31
生かしても殺しても厄介

やっぱこの策劉備への対応がガン無視されてるのが問題だわなぁ

それとも本当に直前の劉備を呉に留めさせるっていうのが対応なのかね?

そうなりゃ劉備擁立論も確かに考えられる

67 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/19(土) 09:44:37
>>54
馬超は公孫淵的扱い

68 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/19(土) 12:28:04
擁立なのかな?

69 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/19(土) 12:43:26
>>66
>>23では瀬戸際外交の可能性を指摘したが、実際の歴史がそうだったように、
一度スタートしちゃえば(お互いに必要としてるので)止めるにとめられない部分も確かにある。
なんで抑留=擁立は早計だと思う。

70 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/19(土) 13:40:28
結局は周瑜の策通り、骨抜きにして操るのが一番無難ぽいな
上手くいくかどうかは別にして

71 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/19(土) 13:42:45
>>70
その「上手くいくかどうか」が不安だから孫権やらなかったんじゃないの?

72 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/19(土) 13:46:14
じゃあ劉備視点から見てどう対抗するべきなんでしょう?
ガン無視されたままだと立場も糞もなくなるし、確か周瑜生存時は独立もしてなかったですよね?

その上でどのような瀬戸際外交が出来るのか、ちょっとあまり思い浮かばないんですが

擁立となると両者旨味はあるんだろうけど

73 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/19(土) 13:58:16
荊州の豪族はほとんど劉備支持じゃなかったっけ

74 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/19(土) 15:00:06
いやでもこの時期の劉備孫権の関係がすっごい微妙じゃね?
共同体みたいな…

そこで劉備がこの策の中で何も出来なかったら靡くんじゃ

75 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/19(土) 15:26:55
赤壁、南郡、荊南四郡の侵攻が形振り構わない共同作戦だったしね

76 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/19(土) 15:34:42
周瑜のような家格も能力も主君以上な奴が四川のような拠るべき土地を持っておとなしくしているかね
韓信コースだろ

77 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/19(土) 16:44:40
つ孫瑜

78 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/21(月) 07:05:08
周瑜が独立するって可能性はないっしょ
孫策の死直後の孫権への対応とか蒋乾に見せた忠、忠誠心溢れる遺書とか

でももし統一したとして韓信みたいな末路にはなりそうだなぁ…

79 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/21(月) 12:28:23
周瑜は統一したら引退して毎日音楽を楽しんでそうなイメージがある

80 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/21(月) 18:32:00
劉備脳神経 軍師

81 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/22(火) 20:29:07
>>70
50余歳にして子供ン十人も拵える劉備も魅力的

82 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/23(水) 14:31:10
>>79
トキと音楽を楽しむ感じか?

83 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/26(土) 15:29:22
結論としては劉備の扱いさえ上手くいけば余裕のよっちゃんって感じ?

蜀攻略は上手くいきそうだけど、漢中はどうなんだろ?

84 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/26(土) 16:05:02
漢中も南陽も南の勢力が影響力を持つ盆地らしい

85 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/27(日) 18:34:04
漢中は呂岱が漢水遡って窺ってみたが
張魯に漢中への道を閉ざされて断念したような

周瑜なら呂岱よりもうまくいくのでは

86 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/27(日) 19:04:04
益州の連中が劉備を引き入れたのは本拠地にしてくれるからであって
孫権の一地方扱いじゃ協力してくれないだろ
法正とかが敵として立ちはだかるわけで簡単にはいかない

87 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/27(日) 19:17:10
法正は基本的に出世できそうな君主なら誰でもいいって立場だろ

88 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/27(日) 19:19:08
蜀滅亡の混乱期に攻めかかったけど永安ひとつぬけなかった
土着豪族が協力的ならともかく、本気で抵抗したら周瑜がいようといまいと
簡単にはいかないだろ

89 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/27(日) 19:24:14
呂岱は未開の山猿相手にしか威張れない小人物
周瑜より上とかありえない

90 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/27(日) 20:07:09
>>86-88
内応に傾いた「益州の連中」が、本拠地としてくれなければ内応はしないのだろうか?
張松と法正の会談からすると、「劉備に雄略あり」というのがその理由となってる。

確かに張松は曹操に冷遇されたのを恨み、法正も劉璋に用いられなかった。
この2人の不満点は第一に「劉璋の器量の無さ」と明記されていて、
第二に出世が思うようにいかないことは読み取れる。

しかしこれが孫権だと満たされないかというと、そうでもないように思える。
功労者として(劉璋政権よりは)尊重されるだろうことは疑いないし。

91 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/27(日) 20:15:46
もし呉が天下二分に成功していたら、孫権は南郡あたりに引っ越して来たんだろうな。


92 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/27(日) 22:00:19
厳しいだろうな。
劉備は対張魯のための援軍だと騙して益州内部に入り込んだから上手くいったけど、
周瑜は正攻法で攻め込むわけだから永安あたりで阻まれてる間に、
曹操南下の報を受けて撤退といったところだろう。

93 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/27(日) 22:18:55
>>92
上にもあるが、張魯が北方からガンガン圧力かけてる時期なんで、
東方の永安方面にそんな大規模な備えは恐らく無いと思われる。

実際に援軍として東からきた張飛らはあっさり突破してるし。
とりあえずまだ短いんで、一通りスレを読んでみてくれると嬉しい。

94 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/27(日) 22:22:08
長江流域を抑えてるから防備に専念さえすれば曹操が南下してもそう簡単には落ちないんじゃないの?

95 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/27(日) 22:57:09
446 名前:無名武将@お腹せっぷく :2009/12/27(日) 22:45:53
相変わらず蛆虫の巣窟だな、きもい


447 名前:無名武将@お腹せっぷく :2009/12/27(日) 22:47:00
>>445
もりわかを弁護するお前も同罪


448 名前:無名武将@お腹せっぷく :2009/12/27(日) 22:47:09
>>446
もりわか乙


449 名前:無名武将@お腹せっぷく :2009/12/27(日) 22:47:57
>>445
盛岡県人乙


450 名前:無名武将@お腹せっぷく :2009/12/27(日) 22:48:45
汚沢帝国キモイ


451 名前:無名武将@お腹せっぷく :2009/12/27(日) 22:49:42
おれがもりわか?
まさしく脳味噌に蛆が沸いた奴の発想だな


452 名前: ◆0cm5bEPo3u.2 :2009/12/27(日) 22:50:10
小沢帝国なんてねーよボケ
あるのは希望王国いわてとかいうもっと恥ずかしい存在だ


453 名前:無名武将@お腹せっぷく :2009/12/27(日) 22:51:12
汚沢帝国もりわか(笑)


454 名前:無名武将@お腹せっぷく :2009/12/27(日) 22:51:30
>>451
もりわか帰れ

96 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/27(日) 23:16:47
蜀滅亡時もろくに備えが無かった永安を突破出来なかったし難しいだろうな

97 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/27(日) 23:17:47
>>94
というか、曹操からみた敵対勢力としての孫劉勢力総体は、
史実上も仮定上も大差ないハズなので、いきなり危機に陥ることは考え難い。
史実ではない、大規模な南方遠征軍でも起こしそうなら別だけど。

98 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/27(日) 23:26:16
>>96
諸葛亮死後の話で、
呉側が巴丘の守兵を増員した際、即座に永安も増兵してこれに対抗するなど、
蜀の時代における東方意識・防衛態勢は、劉璋時代より遥かに高いと思われる。

99 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 00:16:12
>漢中は呂岱が漢水遡って窺ってみたが
>張魯に漢中への道を閉ざされて断念したような

この辺のことが俺はよく分からない。
そもそも上庸のあたりは当時誰が領有していたのか?
張魯+申兄弟なのか?
呂岱が引き返したのは上庸の手前なんだろうか?

100 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 01:59:44
呂岱も結構目立ってんな

101 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/29(火) 21:34:10
>>99
呂岱伝引呉書だと漢興まで行ったとある
後漢書郡国志引魏略だと漢興郡は「関中を分割して設置された」とあるけど
三国志集解の書き方だと荊州西部の魏興郡の可能性もある
(実際漢水の流れは魏興〜漢中だし)
記載が本当なら上庸よりも先まで行ったことになる

でも漢水は襄陽を通っているからこの話自体捏造の可能性もある

102 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/30(水) 14:11:20
襄陽を通り過ぎるだけならできそうな気がする
呉でも後年に合肥を素通りして寿春まで行ってたような

103 :無名武将@お腹せっぷく:2010/01/09(土) 19:41:04
>そもそも上庸のあたりは当時誰が領有していたのか?

俺も気になる。

104 :無名武将@お腹せっぷく:2010/01/09(土) 20:09:15
申耽かな
諸葛亮の義兄で房陵太守のカイ棋もいたけど

105 :無名武将@お腹せっぷく:2010/01/09(土) 23:11:53
カイ棋は魏の任命した太守だろうから、張魯降伏後じゃないの?

106 :無名武将@お腹せっぷく:2010/01/10(日) 01:48:25
後漢書の郡国志によれば、漢中郡は後の西城・上庸・房陵なども含む領域。

その後、張魯は朝廷から領漢寧太守に任命されていて、
いずれかの時期に漢中から漢寧に改名された模様。
(宋書では「曹操が張魯を平定すると漢寧郡を漢中郡に戻した」とあり、
その注に「この前に漢中郡を漢寧郡に改名したはず」とある)
だから、この時までに漢中郡が分割されていないなら、
西城・上庸・房陵までもが張魯の勢力圏内だったはず。
張魯が降伏した215年、分割されて西城郡・上庸郡が置かれたらしい。
219年に孟達が戦ったのは房陵太守の蒯祺だから、房陵郡も同時期に置かれたのかも知れない。

晋書の地理志によると曹丕は漢中遺黎(=遺民)をもって魏興、新城二郡を置き、
曹叡が新城郡を分割して上庸郡を置いたという。


以上と、劉封伝注の申兄弟の記事から考えるに、
・張魯は漢寧太守として西城・上庸・房陵までを支配していた。
・申兄弟はその部下、または仕官しないまでも、在地豪族としてその領内にいた。
・呂岱は赴いたのは漢寧郡であり、漢興郡は間違い。

ということではないか?

当初は、孟達が房陵を攻撃した時のように、宜都から北上したのかとも思ったが
210年に荊州は劉備に貸与されてるからそれはなさそうだ。
漢水経路だと厳しいから、江陵から西北に、荊山を突っ切る形で行ったのだろうか。

107 :無名武将@お腹せっぷく:2010/01/12(火) 02:37:55
つか俺アホだな。
210年には江陵も劉備の領土なんだから
211年に漢中行くなら、江夏から漢水に乗っていくか
劉備領を通してもらうしかないか。

だから211年という記述が間違いでなければ、
呂岱が漢中に行ったということ自体が捏造なのかも知れない。

108 :無名武将@お腹せっぷく:2010/01/12(火) 02:50:51
永安と江州までは陸と水軍を駆使して攻めとるけどその先から泥沼かしそう

109 :無名武将@お腹せっぷく:2010/01/13(水) 19:45:54
211年頃だと楽進が裏陽に居る頃?
それだと漢水を遡るのみのルートは厳しいかも。

110 :無名武将@お腹せっぷく:2010/01/19(火) 02:33:11
211年なら、まだ劉備と孫権の関係も悪くはないはず。
楽進は、いなかったかも知れない。
南郡攻防で曹仁は撤退しているので、楽進にも動きがあったとは思う。
それが209年〜210年なので、楽進が襄陽にいなかった可能性もあるはず。
そうなると、呂岱の話も多少現実味を帯びて来る気がする。

111 :無名武将@お腹せっぷく:2010/01/22(金) 00:03:34
楽進は孫権討伐まで裏陽に居そうな気もする

112 :無名武将@お腹せっぷく:2010/01/22(金) 15:57:18
呂岱の話をみんなが信じてやると、楽進が襄陽にいた可能性は低くなるだろうな。
このスレの奴らは呂岱が好きだから、多分楽進は襄陽にいなかったと考えるべき。

113 :無名武将@お腹せっぷく:2010/01/23(土) 02:37:41
とすると、関羽や蘇非が楽進にボコボコにされてたのは、周瑜と曹仁が戦ってた頃?

114 :無名武将@お腹せっぷく:2010/01/23(土) 03:05:33
>>113
時期的には、その頃だろうな。
ウンポコさんよ。

115 :無名武将@お腹せっぷく:2010/01/23(土) 10:23:56
ウンポコさんて誰?

116 : ◆78.74B8pQg :2010/01/23(土) 10:48:40
>>115
そこは察しろカス

117 :無名武将@お腹せっぷく:2010/01/23(土) 11:03:29
何かこの板は感じ悪いな。

118 :ホモちゃん ◆rfq0gJoXn. :2010/01/23(土) 11:39:44

             / ,  _,.   -‐ァ ,、      \
            /  / /     // ヽ       \
          /  /-'―  _/ ´―- 、ヽ       ',
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119 :無名武将@お腹せっぷく:2010/01/23(土) 12:46:15
隠し切れない移り香が いつしかあなたに染み付いた

120 :無名武将@お腹せっぷく:2010/01/23(土) 20:45:28
周瑜が江陵城で足止め食ったのは、かなり痛かったな・・・・・
矢傷で寿命縮んだのかも知れんし。
孫権のクズは、合肥を攻めて、しかも落とせずに帰るという大チョンボ。
こんなのを君主に担いで戦っていた周瑜が可哀想だ。

121 :無名武将@お腹せっぷく:2010/01/23(土) 21:34:28
孫権が合肥を圧迫したので曹操は以後一二年東方に掛かりきりになった

122 :無名武将@お腹せっぷく:2010/01/24(日) 00:24:42
>>121
周瑜と共に江陵に軍を集結させた方が、迅速に南郡一帯を制圧出来た気が。
仮に周瑜の寿命が一年弱として、半年で攻略すれば益州侵攻出来た可能性も高い。

123 :無名武将@お腹せっぷく:2010/01/24(日) 11:40:06
で、淮南丸ごと取られるのね

124 :無名武将@お腹せっぷく:2010/01/27(水) 00:15:58
>>120
江陵は堅城で相手が曹仁と徐晃だから仕方ない
合肥を獲れる確率が一番高かったのになこの時期w
蒋済の流言に引っかかる孫権w

125 :無名武将@お腹せっぷく:2010/01/28(木) 01:31:31
あの時に合肥落とせてたらどうなったんだろ?

それよりも周瑜に援軍送っときゃ劉備をのさばらす事もなかったのかな

126 :無名武将@お腹せっぷく:2010/01/28(木) 01:51:24
劉備の扱いを上手くやればOKって意見があったが逆に史実通りの天下三分からでも
相手と上手くやれれば魏に勝てる可能性は十分あった気がする(呉蜀ともに)

127 :無名武将@お腹せっぷく:2010/01/29(金) 16:50:50
合肥取っても維持出来ないだろJK

128 :無名武将@お腹せっぷく:2010/01/29(金) 17:12:41
合肥は維持できないこともないだろう

129 :無名武将@お腹せっぷく:2010/01/30(土) 13:31:28
>>110
確か先主伝で、212年(建安17年)劉備が劉璋に使者を送って
関羽と楽進が青泥で睨み合っているのを理由に増援要請をしている。
もしこれが事実なら、楽進が少なくとも212年頃までは荊州に居た可能性が高い。


130 :無名武将@お腹せっぷく:2010/01/30(土) 14:03:16
楽進がいるかいないかって重要なの?

131 :無名武将@お腹せっぷく:2010/01/30(土) 14:15:12
淮南三叛の時に孫峻、孫チンというのが運の尽き

>>130
張遼がいなければどこでもエースを張れる男

132 :無名武将@お腹せっぷく:2010/01/30(土) 14:16:22
ディフェンスに定評のある親族の夏侯惇

133 :無名武将@お腹せっぷく:2010/01/30(土) 14:20:48
>>130
楽進は関羽の天敵ですから

134 :無名武将@お腹せっぷく:2010/01/30(土) 16:43:10
アモーは?

135 :無名武将@お腹せっぷく:2010/01/30(土) 16:51:36
徐晃や呂蒙も天敵だよな
この二人にも2回してやられてるし
関羽は天敵大すぎw

136 :無名武将@お腹せっぷく:2010/01/30(土) 19:57:20
虚勢を張るのに定評のある髭だからな

137 :無名武将@お腹せっぷく:2010/01/30(土) 20:26:37
>>128
そうかなあ…
長江補正が使えない時点でかなりキツいと思うが。

138 :無名武将@お腹せっぷく:2010/01/30(土) 22:03:45
淮水に押し上げればいいんだよ
後の時代はともかく赤壁の頃なら
淮南には袁術残党がごろごろしてて曹操派の軍備が整っていない

139 :無名武将@お腹せっぷく:2010/01/30(土) 23:22:40
>>137
合肥旧城なら長江と水運で繋がっているので
濡須口みたいに塢を築いて維持できる気もするが…

140 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/06(土) 08:21:38
でも合肥は長江からちょっと遠いので
濡須口より維持は厳しい難易度

141 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/10(水) 02:21:42
まぁこの策で言えば合肥方面からじゃなくて襄陽からの北上だし、こうブワーッて突き上げていけばグワーッて合肥も落ちるでしょ

142 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/18(木) 20:39:28
んで劉備側からしたらどう立ち回れるの?
漁夫の利狙うしかなさそうな

143 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/19(金) 20:04:07
援軍とかいって強引に兵を出し、赤壁後のように周瑜が敵の拠点を
攻めてる間に周辺都市を実効支配って感じになるような気がする。
劉備が呉を挑発すれば、窮地に陥るのはむしろ劉備側だし
周瑜の侵攻を妨げるようなことはできないんじゃないかな



144 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/21(日) 23:23:22
でも実際は周瑜や孫瑜が蜀遠征しようとして劉備が邪魔した形跡があるので
>>143の展開でも劉備がKYで余計な動きをする可能性はある。

145 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/21(日) 23:32:31
>>144
そもそも周瑜も劉備を無力化することを提案しているわけで、
二分の計の前提条件が、
「劉備が黙って傍観していることor無力化すること」
だろう。

146 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/23(火) 01:08:54
この頃の劉備の立場じゃ表だって邪魔することはできないしね
曹操がいるから裏切ることもできないから>>143の展開で少しでも多く領土を奪って統治を複雑化するんじゃない?

147 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/23(火) 22:06:45
>>143の展開だと劉備は京城で軟禁で酒池肉林
関張以下は周瑜の手下扱いなので
少しでも多く領土を奪うなど無理

148 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/03(水) 23:34:09
そもそも孫権が劉備軟禁案却下したのってよくわからん
蜀侵攻は認めてるのに劉備どうする気だったんだろ

149 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/04(木) 02:05:00
劉備軟禁案って実権を孫権が握って劉備を御輿にしろって案なので
名実ともに欲しかった孫権が嫌がったってところだろ

150 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/05(金) 00:24:52
劉備が孫権に二度と会いたくないと言うのには吹いたw
「お前が言うな!!」

151 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/05(金) 12:06:01
>>149
いや、劉備無力化がその軟禁案だったとして、それ却下して蜀攻め認めるのって劉備どうすんのよって話

152 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/05(金) 12:09:09
ゴミ捨て場のようなスレ

153 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/05(金) 12:52:49
蜀・漢中に攻め込むまでいくと呉の主力がそちらにいくだろうがその間に張遼等が南下してきたらどのくらい耐えられるんだろうか

154 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/05(金) 14:04:36
交通の便が不便だからこそホテルを造るべきなんだよ。
みんなだって野球観戦のあとはゆっくりしたいだろ?
風呂につかり酒をかっくらいながら疲れをとりたいだろ?
俺は決して無理難題を言ってるつもりはない。
むしろ良心的だと思ってるくらいだ。

155 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/05(金) 19:23:14
南下して生きたときの守りは呂蒙じゃないか。
呂蒙なら、孫権が出張りさえしなければ十分に防衛が可能だと思う、

156 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/05(金) 23:34:51
陸路繋ぎならアウトだけど長江があるからね

157 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/06(土) 21:46:23
周訪は周瑜の一族?

158 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/07(日) 00:42:47
アランが神

159 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/07(日) 00:44:00
あっ誤爆スマソ

160 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/07(日) 02:07:14
ぶっちゃけた話、蜀滅亡時の混乱期に、たった2千人の永安を
歩協の軍勢+陸抗3万で抜けなかった呉が正攻法で蜀を落とせるって前提に無理があるんじゃないの

161 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/07(日) 02:35:34
永安付近は現在でも長江の左右まで山が迫る難所。二千で守れる
しかも40年かけて要塞化されたと考えられる場所
逆に後漢末当時の荊益国境は張飛趙雲諸葛亮がさしたる戦いの記録も無く突破している

というか50年の年代差と戦力・状況が全然違うのを比べて「呉が」「蜀が」とか意味ない

162 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/07(日) 11:50:38
戦力・状況って、成都陥落の混乱期に守備兵を二千残して引き抜かれた永安、より有利って
どんな想定してんの?

しかも当時の呉って、敗残兵の籠る江陵の攻略に一年かかったり合肥で醜態さらしたり
御世辞にも軍の状態がいいとはいえないじゃない

163 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/07(日) 12:13:09
それに、劉備の入蜀は同性のよしみを利用した『援軍』としての強襲だったわけで
孫権が同じ事をするのは無理だろ

永安でボコられてる間に曹操が南下してきて逃げ帰ることになるんじゃね

164 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/07(日) 12:31:58
・蜀滅亡に伴い混乱中
・本来の守将は蜀の危機に伴い召還されており、副将が守っている状態
・それに伴い兵も殆どが召還され2千しか残っていない
・元の国が滅んでいて孤立中、補給もない援軍もない物資もない
・呉側の将軍は、当時の呉においてナンバーワンだったと思われる陸抗
・兵力差は20倍とも30倍とも
・少なくとも半年から1年は攻撃を続けられた

てか、この条件で抜けずに当時の戦力・状況なら抜けるっていうのが

165 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/07(日) 13:13:00
劉備が成都の北で行き詰ってて益州の東部南部が手付かずだった時期に張飛らが抜いてるね

166 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/07(日) 19:01:44
そもそも正面から永安攻めるのかよw
まず陸抗と比べる時点で・・・

167 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/08(月) 15:56:33
>>162-163
それこそ劉備を呼び込んでどうにかしないといけないと思わせるほど、
張魯の脅威が著しいような状況だったし、度々紛争が起る呉・蜀間と違って、
劉璋が長江下流勢力に脅かされるような心配はそれまでまるで無かった。

滅亡時とは言え、それまでに劉備・諸葛亮ら賢主の時代を長く経た分、
劉璋政権時よりは遥かに堅固な東方防衛体制があっても不思議はないし
それはなくとも、多分守りきれたことの方が特殊な出来事だった。

別の事例でいうと、朱然が江陵を5000で魏の攻勢から1年以上死守したのに対し、
同じ江陵で糜芳は瞬く間にあっさりと降伏したが、
多分守った例の方が特異なものだと思われるのと一緒。

勿論羅憲や朱然の時のようなスーパープレイが再現されん保障はないが、
張飛らの例を見るに、その確率は低いとみていいんじゃないかな。

168 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/08(月) 18:14:18
>>167
江陵は簡単に落ちる方が稀
っていうか3万の捕虜を受け入れてる状態が稀
そんな奇特な例を凡例の如く扱うのはどうなの?

169 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/08(月) 20:13:28
>>164
当時の状況で張飛・孔明があっさり通過していることを
どう説明するんだ?劉備はすでに敵対の意思をしめしてるから
>>163の言う様な援軍のふりなんてできねーぞ?

170 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/08(月) 21:32:11
>>167
麋芳の江陵は東から攻められている。荊州は東西からの攻撃に弱い。
朱然ら歴代呉将が守った江陵が堅城だったのは北からの攻撃を防いだから。
長江を盾にしているので江陵城自体は戦闘中放棄していると考えられるが。
なのでこの場合の比較としては適切ではないね。
まあ周瑜の益州攻めと陸抗の益州攻めを比較するのとどっちが適切でないかは微妙だけど。

張飛の入蜀時での「劉備という内憂」などが存在しない分、周瑜はより正攻法に傾くのは間違いない。
しかし、当時の劉璋は張魯に北部を侵犯され、ホウ義が巴西郡で半独立状態だった。
成都と巴東郡の連絡路は容易く分断できる形勢にある。
その他劉璋の統治は弛緩していたわけなので、
周瑜がなんの工夫もなく突っ込んで益州諸勢力を再連合させたりせず、それなりの手管を使うならば、
益州攻めはそんなに非現実的な計画ではなかっただろう。

171 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/09(火) 00:51:49
内通者はどうだろう?
蜀から襲粛が投降してるから可能性はあるんじゃない?

172 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/09(火) 22:06:37
江陵なんて糜芳の時みたいな特殊なケースでもなければ
元々簡単に落ちる場所じゃない
当の周瑜でさえ、命すり減らしながら丸一年かかってるんだが

173 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/10(水) 00:15:58
てか糜芳はあっさり降伏したし

174 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/12(金) 13:16:18
女が金出してまでセクロスお願いしたいのって
好きな男か、超絶イケメンか
No.1ホスト級に女を楽しませる術を持ってる男か
何百人と経験があって一回のセックスで
確実に女を満足させられる超テク持ちくらいだよ

童貞じゃ無理

175 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/15(木) 23:27:37
江陵って伍子胥も陥したんだっけ?

176 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/02(日) 02:18:41
当時は象も居た江陵

177 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/02(日) 07:19:48
蜀側から劉備にだけ内通を持ちかけていると考えるよりは
劉備と孫権の両方に話だけ通して、現実味がありそうな劉備を選んだ
って方がしっくりはくるけど
特に法正は元々土地の人間でもないから誰でもよさそう

ただもう一つさ、史実では周瑜の死後に曹操は馬超との戦いに乗り出しているんだけど
周瑜が生きていた場合は呉の動きを危険視して西は守るだけに留まらせる可能性もあるよね

178 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/02(日) 11:42:14
さすがに潼関まで抑えられたのを放置ってことはないだろうが
211年の馬超の大反乱の時点で南に劉備と周瑜が残っていれば
曹操はかなりのピンチだっただろうな

179 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/05(土) 15:13:42
でもやっぱ鍵は劉備なんだよな

どう動くのかわからん

180 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/13(日) 10:59:55
劉備は寄生虫なので周瑜の邪魔しそう

181 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/13(日) 11:05:31
周瑜じゃラク城を陥とせないから無理だな
兵糧尽きて退却したところに追い討ちかけられて戦死濃厚

182 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/13(日) 11:08:53
そこで呂蒙甘寧ですよ

183 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/13(日) 14:01:57
赤壁から連戦の兵を率いて曹仁の守る江陵を落とした周瑜が
ラク城ごとき陥とせないとでも?



184 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/13(日) 17:10:31
そもそも、劉備と周瑜じゃ侵入ルートが違うからラク城は関係ない。
逆にいえば、周瑜ならば劉備のようなルートは使えないので苦戦は必至。

185 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/13(日) 17:42:07
まあ劉備みたいに援軍のふりをして入り込むんじゃなくて普通に攻め込むわけだしな
永安も抜けずに敗退といったところだろう

186 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/13(日) 23:30:52
周瑜がどれぐらい懐柔工作を進めていたかが鍵だな
下手なやり方だと曹操と益州勢力を結びつかせる結果になりかねん

187 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/14(月) 12:45:27
212年には曹操は鄴に帰還してるわけだし
永安落したか落せないかというタイミングで曹操襲来の報>撤退になるだけだろう


188 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/14(月) 17:16:43
馬超の存在もあるし曹操が動くかもわからん
来たとしても守りに専念すればそう簡単に荊州は落ちないだろう

189 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/14(月) 17:30:08
荊州が落ちることはないだろうけど益州攻略は無理だろうよ
伯符が生きていても可能かもしれないというレベルだよ
永安は何とか抜けるかもしれんがいずれにしても撤退になると思う
大事をとって動かない男かなあ曹操は

190 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/14(月) 20:57:36
益州は北の張魯から圧迫を受けてる時期なんだがスルーしていいのか?

191 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/14(月) 21:05:58
大勢力の孫権勢が益州に入ったら張魯も困るから余裕でスルー

192 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/14(月) 23:10:07
スルーするよりドサクサに紛れて自分の領土増やすのがフツー

蜀滅亡時の呉みたいにな

193 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/14(月) 23:54:19
呉は攻め込んで勝つイメージが無い 
防衛戦は地の利を生かせるし滅法強いが…
蜀滅亡時ですらあの様だし

194 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/15(火) 02:19:41
>>192
呉の場合、長江上流域を大勢力に抑えられるという危惧が一番大きな動機じゃないのか

張魯が領土増やすって言っても、長江流域ほぼ全土を支配してる勢力と対峙しつつ
漢中から益州盆地内のいくばくかの領地を守れると思えんが
手をだすださないはともかく、呉の入蜀は張魯にとっても歓迎できる事態じゃないだろう

195 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/15(火) 10:48:47
>>192
失敗してるじゃん

196 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/15(火) 14:00:42
張魯勢力にそんな長期的な見通しができると思ってるのか?過大評価もいいとこだろ
乱世の小勢力なんて自転車操業もいいとこだろ
実際張魯は場当たり的な行動ばかりしてるじゃないか

197 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/15(火) 17:40:14
張魯にそんな長期的な見通しができる能力も無いし
それを可能にする人材もほとんどいない
閻圃があてはまるかどうかといったところ

198 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/19(土) 09:24:23
ホウ統の征蜀計画は周瑜の部下だった頃に考えたらしい
劉備は中策用いて1年以上かかったが
周瑜なら上策用いて電撃戦しそう

199 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/19(土) 09:47:54
そもそも周瑜が上策用いることが無理だろ
昼夜問わず進み成都奇襲なんて劉備の置かれてる状況での献策
周瑜の立場で上策なんてできるわけがない

200 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/19(土) 16:27:36
別に上策が最上の策ではないからなぁ
ハイリスクハイリターンな策という意味だし

201 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/19(土) 20:02:18
何度も言われてるがまず益州に無傷で入ること自体無理だからな
周瑜の場合

202 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/20(日) 00:20:18
無傷で入る気はないだろうしな

203 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/26(土) 09:25:32
周瑜の場合甘寧李異がいるのは心強い

204 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/26(土) 18:52:22
自分を追い出した連中と戦うことになるから、甘寧にとってはテンション上がるだろうなあ
いいことか悪いことかはともかく

205 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/28(月) 07:10:14
てか曹操に惨敗して逃げてきた馬超にビビッて降伏するヘタレなんだから
どう考えてもその時点で軍事的名声の高い周瑜が来たら速攻で降伏するんじゃね?

206 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/28(月) 12:31:31
周瑜が自力で成都を囲む段階までいけばそうなるかもね

207 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/29(火) 01:05:39
この計画の無謀さからして周ユの知略の限界を感じる。

208 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/29(火) 07:12:11
無謀さでいうと赤壁の方が無謀だろ

209 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/29(火) 08:48:17
郭嘉が生きていたら曹操が天下統一していた。
徐庶がマザコンでなかったら劉備が・・・
周瑜が生きていたら孫権が天下を・・・


以上、三国志の3大タラレバでした。

210 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/29(火) 16:28:25
>>208
赤壁の無謀勝利で味を占めて、成都攻略は調子こいたんだろ

211 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/29(火) 20:12:28
無謀に見えて緻密な情報分析から荊州奪取まで展開させたんだから周瑜にとっちゃ無謀でも何でもなかったわけで
益州攻略を無謀なままで進めるような人物じゃないだろう
遺言で魯粛を後任に推したのもまさに慧眼だったし
実は調子乗ってたけどよくよく考えたら無謀過ぎました、サーセンwww、はないだろ

212 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/29(火) 21:48:15
>>208
最近の研究によると赤壁の戦いの兵力は、
北軍10万(曹操軍8万+蔡瑁ら旧劉表軍2万) vs 南軍8万(孫権軍5万+劉備軍3万)。
北軍が大河を越えて攻め込まなくてはならない事を考えると、
特に無謀な戦いとは言えない。
むしろ北軍のほうが無謀とさえ言える条件であり、
事実、曹操も兵力を誇大に宣伝して降伏を促しただけで、積極的に攻めてはいない。

213 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/30(水) 03:24:11
>>212
当時の曹操は幽・冀・青・徐・兗・豫・荊・司(一部)の8州は領有化してたと思う
のですが、それで10万だと、1州あたり1万ちょっとしか拠出してない計算になり
ます。一方で孫権は揚州だけなのに5万、劉備は3万(劉埼軍含む)ですか?

また、劉備が3万なら、元々の荊州の軍の構成をどう考えるかも難しい。
 蔡瑁ら旧劉表2万
 劉備+劉埼3万・・・こっちのほうが1.5倍もあるの?

214 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/30(水) 19:08:32
>>212
諸葛亮伝にある孫権への発言ですら合計2万余りしかないのに,
(諸葛亮=劉備は孫権と連合できないと困る立場なのだから,
実際より水増しすることはあっても減らすことはないだろう。)
何で劉備軍が3万もいたことになってるの?

215 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/30(水) 19:15:16
雷緒が合流すればそれぐらいになるだろうが
雷緒が合流したのは赤壁後

216 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/30(水) 21:16:43
>>212
積極的に攻められなかったのは周瑜が先んじて対岸に陣取りしたせい
それで曹操側は腰を据えて戦うコトができなかったし、劣悪環境で病が蔓延した

217 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/30(水) 21:21:03
>>213
青州、徐州、司隷は動員できるような状況だったのかどうか検討の余地があると思うよ
まあ、冀州、豫州だけで考えても少なく感じるのは事実だけど

218 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/30(水) 21:26:48
勢力圏の外の一戦場に10万も集結できる国力があったのなら当時としては破格だよ。多すぎるくらいだ。
国内が殆ど空っぽになってしまう。

219 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/30(水) 22:11:05
>>212>>216

赤壁の戦いは長江を挟んだ渡河戦じゃないと思うんだが。
曹操は荊南も抑えてるよ。
あれは上流対下流。
無謀とは思わないが、曹操側が圧倒的に有利なのは事実だろう。

220 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/30(水) 22:14:21
周瑜は水軍は得意だけど陸戦は苦手なんだよな

221 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/01(木) 01:57:43
>>218
当時、荊州全土を無傷で取得出来てる時点で曹操勢力はかなりのものだと思います。

それと、劉備+劉埼3万なら、蔡瑁ら旧劉表軍は2万というのもおかしいです。
劉備+劉埼を上回る兵力、最低でも5万は居たと思います。(周瑜曰く7〜8
万)
荊州(劉備+劉埼+旧劉表軍)が8万程度居たとすると、曹操軍はそれ以上の
兵力なのではないでしょうか。

222 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/01(木) 08:17:36
劉表の全兵力が十万余あったとして、襄陽に集結できるのは普通に考えて
半分以下だから曹操の攻撃軍もそんなにいらない。
同じように赤壁に集結できる兵力も限度がある。

223 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/01(木) 14:44:41
>>212
>むしろ北軍のほうが無謀とさえ言える条件であり
曹操って、無謀というより、考えが足りないと思う
でも退却だけはうまいね

224 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/01(木) 15:28:26
赤壁の各軍配置
 曹操20数万・・・烏林
 周瑜3万・・・赤壁
 孫権2万・・・柴桑
 劉備1万・・・樊口
 関羽1万・・・夏口
 趙雲張飛4千・・・ろ山
実質戦ったのは曹操20数万vs周瑜3万ですね。その他は皆、赤壁から離れた場所に。

225 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/01(木) 20:54:08
ろ山て何処?

226 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/01(木) 21:10:41
そんな怪しいのは無視していいと思うが

227 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/01(木) 21:30:48
兵力については大体>>212で合ってるよ
曹操軍はもう少し多くて12〜3万くらいといったところかな

228 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/01(木) 21:36:08
ちゃんと引用元を明示しない「最近の研究」は信用すると害になる

229 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/01(木) 22:32:31
研究って言っても歴史群像とかそっち系じゃないの

230 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/01(木) 23:02:15
最近の研究ほどアテにならんからな
兎に角奇抜な事言わないと注目されないんでヘンテコな学説流す奴が沢山いるし

231 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/01(木) 23:14:27
読みもしないで

232 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/02(金) 03:13:11
>>225
「慮山」みたいな漢字(変換できませんでした)。夏口の直ぐ西にあります。
>>228
引用元は「三国志戦略クロニクル」(立間祥介著)です。

233 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/02(金) 19:47:32
官渡の戦いにおける曹操軍の兵力は万に満たず。
袁紹の勢力を併呑したが、その全兵力を動員するのは無理だろうから、
荊州攻めの兵力を8万とするのは妥当な見方と思われる。

234 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/02(金) 20:22:43
荊州攻めの兵力8-10万くらいだとすると、
赤壁に立ち会うことが出来た兵力は3、4万くらいか。

235 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/02(金) 20:26:27
官渡の戦いにおける曹操軍の兵数の記述を信じてるの?

236 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/02(金) 20:30:31
>>233,>>234
そこまで曹操軍が少なかったら,
孫権側の大半が降伏論を唱えることもなかっただろうし,
劉備と連合する必要もなくなってしまうのでは?
(3、4万なら互角になってしまう。)

やはり孫権側が「びびる」だけの兵力はあったのだと思う。

237 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/02(金) 20:41:40
>>236
曹操の荊州攻め自体は、かなりの大軍が動員された計画だっただろう。
それに参加したという記述がある将はかなり多く、
夏侯惇・淵ら一部を除いた当時のオールスターの観さえある。
将来の見通しを含めてとはいえ、孫権側が「びびる」に足る兵力だっただろう。

だが、赤壁の会戦に参戦したという記述がある将は皆無に近い。
荊州内部まで入り込まれて遭遇戦というタイミングを見ても、
曹操にとっては望まざる戦闘という見方が良いと思う。
周瑜・劉備の急進によって戦力の再集結が間に合わなかった、というような。

238 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/02(金) 23:57:23
>>236>>237
確かに荊州攻めには大軍を動員したと思います。荊州は相当な兵力があったと思われるのに、
あっさり曹操に降伏してます。

ただ、赤壁に戦力を集結するのが間に合わなかったかどうかは疑問です。
私のつたない知識では、確か曹操軍は烏林に大規模な水軍基地を建設したはず。それだけの
期間があれば、何をおいても全軍を集結させれるのではないかと思います。天下を取る最終
決戦でもあるし。

239 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/02(金) 23:59:17
曹操が慢心して酷い目にあった、っていう点は変わらないから戦力の多寡は大した問題じゃないよ

240 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/03(土) 00:04:12
というか曹操軍十数万はまだいいいとしても
孫劉の8万はないでしょ



241 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/03(土) 00:05:34
>>240
史書にある数拾っても7万にしかならないもんな

242 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/03(土) 00:12:47
>>238
赤壁という場所に全軍を集結させる理由がないんよ

243 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/03(土) 00:31:20
>>242
江陵からしばらく南下した後、艦艇1000艘で洞庭湖付近から長江を下流へ。
劉備を追ってのことか、孫権攻めのためか、あるいは二兎を追ってのことか。。。
本来、陸口を目指していたような話もどこかで見たけど、とにかく赤壁で周瑜軍
に撃破され、北岸の烏林へ。そこに水軍基地を建設という流れだったような。

244 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/03(土) 00:35:37
>そこに水軍基地を建設という流れだったような。
その話は知らない。
黄蓋が「敵は多数で長引けば不利」という進言もあるように、
周瑜は烏林で対峙する形勢になってから速やかに火計で勝負をつける道を選んだと思うけど。

245 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/03(土) 00:39:37
孫権・朱桓の2万は柴桑での後詰で動かず。なので実動は周瑜3万
劉備軍では関羽が夏口付近に水軍1万を率いていたらしいが、赤壁に参加したのか
不明。そもそも関羽が水軍を操れるのだろうか・・・

246 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/03(土) 00:47:45
>>244
「水軍基地」ではなく、艦艇を並べただけのものだったかもしれませんね。

247 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/03(土) 00:50:40
どうも怪しいなんたらクロニクルを元にして会話している奴がいるな

248 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/03(土) 01:04:28
>>247
慶應義塾大学名誉教授立間祥介著だぞ!頭が高い!

249 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/03(土) 01:07:38
中国文学者であって史学者じゃないけどね

250 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/03(土) 01:10:02
つまり創作の架空戦記なわけだ

251 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/03(土) 10:55:56
>>245
関羽は劉備軍で一番水軍率いてるだろ

252 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/03(土) 11:57:12
元からの劉備の兵+劉埼の兵+荊州の反曹操勢力+関羽水軍1万

劉備軍総勢3万という推測も極めて妥当なところ。

253 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/03(土) 12:09:44
>>252
3万もいるなら諸葛亮は3万と言うだろ
でも関羽の1万と劉キの1万しか言ってないんだから、それ以外は誤差の範囲くらいしかいなかったんだろう
孫権を安心させるためにハッタリで多く言っている可能性も否定できないし

254 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/03(土) 14:51:41
諸葛亮は律儀な男だから、劉埼の兵はあくまで友軍として、劉備の軍とは別として数えていたんだろう。

255 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/03(土) 16:26:29
いずれにせよ劉備は漁夫の利狙いで、赤壁には参戦してないでしょ
曹操敗走後の追撃がてら荊州制圧を狙って動いた感じ

256 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/03(土) 16:37:56
曹操軍も徐州から広範囲に渡って陣を敷いているし、
そういう小さい括りで言うなら、赤璧で対峙した曹操軍もせいぜい5万といったところだろう。

257 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/03(土) 18:47:12
劉備軍が赤壁に参戦してないってのは江表伝ソースだけだろ?
周瑜伝、呉主伝、先主伝を見ると最初の遭遇戦でも参加してるような書き方だけど

258 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/03(土) 21:09:47
>>256
たった5万で攻め込むほど曹操はアホじゃないと思う

259 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/03(土) 21:22:23
>>252
劉埼の兵=荊州の反曹操勢力だろ
劉埼だけで一定の兵力を保持できていたら後継者争いに負けないよ

260 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/03(土) 21:37:53
諸葛亮伝に関羽の兵と長坂から生還した兵を合わせて1万、劉キ持つ江夏の兵が1万を下らない、という赤壁直前、孫権に対する諸葛亮の言が書かれている
劉備たちの赤壁に参加しうる兵力はこれをベースに考えるべきだ
ほかに根拠のある数字は無いはず
孫権が味方してくれるよう説得しているんだから、この計2万だって精一杯多めに数えた数字だろう
これ以外に兵力として期待できるものがあるなら、隠す必要は無い(というかそんな余裕の有る場面ではないだろう)
3万とか言ってる奴は1万がどこから出てきたのか、ちゃんと史書にのっとって説明してほしいものだ

261 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/03(土) 23:12:05
「関羽の水軍」というのは、どこから沸いたのでしょうか。
あったとして、水軍の訓練っていつどこでしてたのか。。。
そもそも劉備に水軍などあるのか。。。赤壁に参加とあるが、どう戦ったのか。
俺が知らないだけかもしれないので、知ってる人、教えてください。

262 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/03(土) 23:30:38
兵士を船に乗せたら水軍の出来上がり・・・とかw

263 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/03(土) 23:40:15
>>261
そんなに色々知りたいなら正史読んだ方がてっとり早い

264 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/04(日) 06:32:03
こうして見ると
曹操軍9万(曹操7万+蔡瑁ら2万)VS劉孫軍7万(劉備関羽1万+劉埼1万+孫権5万)
といったところが妥当な線か
曹操軍は荊州に抑えの兵を残してるだろうし全軍を赤壁に投入するのは無理だろう

265 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/04(日) 09:34:15
それいったら孫権も全軍投入してないわけだが

266 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/04(日) 12:42:48
孫権軍は周瑜が率いた2万だろう

267 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/04(日) 14:16:45
>>264
>蔡瑁ら2万
これが少なすぎるのは前の書き込みでもあきらか
>曹操7万
これも
>孫権5万
>>265の通り
>荊州に抑えの兵を
何のために?

曹操って、そんな冒険のような戦をする人では無いと思います。
必要に迫られれば少ない兵でも戦うけど、自ら攻め入る場合、もっと兵力差がないと
攻め入らないと思います。兵力差が少なければ荊州に留まったでしょう。それをしな
いのは、十分な兵力差があったからだと思います。

268 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/04(日) 14:22:07
孫権・周瑜と戦をするつもりでなかったのなら別に冒険でもない
外交的目算が狂っただけ。

269 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/04(日) 14:23:33
>荊州に留まったでしょう。
赤壁は荊州内にあるんだよ

270 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/04(日) 15:22:54
そーそー15万
りゅーび2万
そんけん3万
が妥当

271 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/05(月) 00:33:56
>>270
曹操15万のうち、荊州兵はどの程度?

272 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/05(月) 12:31:59
四万くらい

273 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/06(火) 21:58:31
>>267 曹操ってかなりの博打打ちだぞ

274 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/06(火) 22:06:44
周瑜伝の注の江表伝に数はちゃんと書いてある
曹操が率いてきたのが15、6万
荊州の兵で曹操に降伏したのが7、8万
ということは合計すると20万超

周瑜は孫権に対して兵5万を要求したが孫権は3万しかすぐには集められないと答えたので、周瑜は3万を率いて出陣した
劉備たちの兵は前にも出たとおり劉備・関羽の兵1万と劉キの江夏兵1万の計2万だと諸葛亮が発言している

275 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/06(火) 23:08:30
そろそろ天下二分の計を考察したらどう?

276 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/06(火) 23:14:30
>>274
そのうちのどれくらいが赤壁に間に合ったかって話じゃ?

277 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/06(火) 23:49:14
「かなりの博打打ち」の曹操が、後続を待たずに陸口目指して先頭に立ってた
可能性はあるかもね。そして周瑜軍に遭遇。。。
ただ、一応前哨戦あったみたいだし、曹操は途中、道に迷ったりしているようだから、
結構な軍勢が集結する時間はあったかもしれない。

278 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/07(水) 00:11:39
>>276
周瑜と孫権は最初から荊州に攻め込んで曹操の軍を追い出すことを考えてるから、赤壁の兵だけで考えてないんだよな

279 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/07(水) 00:27:26
曹操軍がまばらに集まってきたのを周瑜が各個撃破とかならわかるが、そういう事実なし
また、多数の軍勢が集結できなかったのであれば、赤壁敗戦後、江稜あたりで軍の集結を
待って反撃という手もあったろうけど、それもなし

280 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/07(水) 00:44:25
曹操が赤壁から撤退したのは戦で負けたから。
江陵から撤退したのは疫病が蔓延したから。

荊州各地に展開していた諸将軍で、
赤壁に立ち会ったという者の記述はほぼ無し(許チョや賈クなど側近格は別として)。
前進前にしろ、撤退直前にしろ、その後にしろ、江陵など長江沿岸まで行ったという者も少数。
将帥はほとんど曹操一人という陣容で、十数万という荊州展開軍の何割を指揮できたのか。

諸将を連れていない状況で赤壁に負けた

江陵まで戻ったものの、疫病蔓延のため大軍の集結を諦め、
曹仁・徐晃を守備に、満寵・楽進らを襄陽などの後詰に残して、本隊を引き上げた

曹操本隊と于禁・張遼ら荊北予備兵力を危険水位の増した淮南方面に投入

以後二年に渡り二方面で領土確定戦闘が行われた

で良いじゃないか。

281 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/07(水) 12:48:58
>>280
>将帥はほとんど曹操一人という陣容で、十数万という荊州展開軍の何割を指揮できたのか。
将帥がほとんど居なかったなら赤壁参加は数万程度と計算しているのでしょうか。
だとすると、むしろ残り10万で反撃すればいいと思うが、それもなし
淮南を気にする必要などない。天下分け目なのだから。孫権を討てばおしまい
逆に言えば10万残ってたなら孫権もそれを無視して淮南になど進めない

282 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/07(水) 14:57:26
結局周瑜が曹操軍を赤壁でその後荊州に碌な援軍が送れない程のダメージを与えて(もちろん疫病が大半だろうが)追い返し、
そのまま周瑜軍と劉備軍で荊州を落としたのは事実だろ

赤壁前の状態から荊州落とすのと、張魯に攻められている益州を落とすの、どっちが難しいのよって話じゃないのか?

283 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/07(水) 18:41:21
劉備に荊州南部を押さえられた時点で、天下二分は難しい。
やはり、劉備の勢力をどうするかが天下二分の大きな課題だったと思う。
馬超との同盟に関しては、周瑜がどこまで勝算を持っていたのか・・・・・・
遼東の公孫氏との連携ってのは、無かったんだろうか。

284 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/07(水) 23:19:46
>だとすると、むしろ残り10万で反撃すればいいと思うが、それもなし
江陵まで戻ったものの、疫病蔓延のため大軍の集結を諦め、

・曹操が赤壁から撤退したのは戦で負けたから。
・江陵から撤退したのは疫病が蔓延したから。

これが、三国の史書全てに共通する記述のはずであり、>>280はそこから導き出された解釈。
大軍で周瑜に逆撃するための兵力が「赤壁の会戦で」失われた、と解釈できるような箇所は無いと思うよ。

285 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/07(水) 23:52:21
陸軍主体の曹操軍諸将を揃えて水軍で戦うってのか?


286 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/07(水) 23:56:21
「水軍」「陸軍」って分けることが間違いの元のような気がする

287 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/08(木) 00:00:53
間違いでは無いと思うが、曹操軍も周瑜(劉備)軍も、前進時は水陸両進じゃないか?

設営や停泊地の確保を考えればそうあるべきで、
水軍だけで急進とかは奇襲的にしか使われないだろう。
曹操がもし大軍を揃えて揚州に攻め込む段階だったら、
当然有力諸将の何割かは集めて両岸を固めて並進したと思う。

288 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/08(木) 00:53:17
長江周辺は泥沢が多く、陸軍を進めるのは大変だったと思う。もし陸軍と水軍を
並進させようとすると、むしろ水軍はノロノロの陸軍に歩調をあわせるのが大変
だと思う。
赤壁での敗北後、曹操は泥沢を草で埋め立てながら退却したらしいので、おそら
く普通に歩くのよりも遅かったでしょう。

289 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/08(木) 01:54:14
最後まで生き残った奴が伝を立てられる
そんな訳で蜀呉の末期はいかにも人材難に見える

290 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/08(木) 17:22:58
>>283
荊州南部を押さえたといっても、あの時点で劉備が呉に対して
明確に敵対したら、劉備のほうがヤバイだろ。
劉備にできることといったら、不穏な動きを見せることで警戒心を抱かせ、
外交で有利な条件を引き出すことくらいな気がする。
周瑜は劉備をかなり危険視してたし、劉備が足場を固め力を蓄える前に
領土を得て圧力を強めておきたい狙いもあったんだろう。



291 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/09(金) 00:33:41
蜀はあきらかに人材難だな

292 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/09(金) 01:54:27
一州治める程度の人材はいただろ

293 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/09(金) 01:58:12
魏 vs 蜀の内実は
 魏の生粋武将 vs 蜀へ降った魏の将
ですよね

294 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/09(金) 06:18:53
姜維と夏侯覇しか浮かばん>蜀に下った魏の将
姜維は疎まれて更迭寸前だし、夏侯覇は何してたか殆ど不明

295 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/09(金) 09:28:04
王平「俺って影うすいのかな……」

296 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/09(金) 13:31:31
ここで大鴻臚となった梁緒が通りますよ

297 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/09(金) 18:28:59
馬超、馬岱「俺達も影うすいな・・・」

298 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/09(金) 20:58:40
>>297
おまえら魏だったのか

299 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/10(土) 02:24:44
>>298
202年頃から曹操のために働いてました、はい。そもそも親父(馬騰っていうんですけど)が
曹操に色々とお世話になったので、それ以来、親父共々お世話になってました。
親父は曹操の言いなりでしたが、俺は嫌気がさして謀反しました、はい。
知っての通り、謀反は失敗し、その結果、俺と馬岱以外、親父も弟達もみんな処罰されました、はい。

300 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/10(土) 02:33:16
曹操は後漢だろ

301 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/10(土) 07:24:51
曹操は魏だよ。
魏公・王だから。

馬超らは後漢→蜀漢だけど。

302 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/10(土) 10:20:23
半同盟勢力まで曹操幕下になるなら
遼東公孫氏や益州劉氏も曹操幕下だねw

303 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/10(土) 21:51:25
ようがいは呉になるのか

304 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/10(土) 22:28:46
馬騰は完全に曹操配下だな

305 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/10(土) 23:00:09
士燮は呉ですか?

306 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/11(日) 00:21:07
一応呉で良いだろう

307 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/11(日) 00:52:46
織田信長と宇喜多直家ぐらいの関係>孫権と士燮

308 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/11(日) 12:44:48
天下二分は難しいだろうなあと思う
そもそもあの断片的な情報だけで可否を決めるのが無理っぽいが

309 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/11(日) 12:48:23
実行されなかった、記述は概要くらいな計画だもんだ

310 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/11(日) 13:07:28
すでに言われたように周瑜がどれだけ内応策考えてたのかがカギだな
それが全部上手くいくことを前提にしてようやく現実的な話になるってレベルだと思う

まあ内応策が正史に記述が無いので完全に妄想の域ですが

311 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/17(土) 09:14:55
天下二分策では蜀の統治は孫瑜、裏陽の統治は周瑜自身の予定だけど、
漢中は誰に任せるのだろうか?

312 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/17(土) 18:00:04
周泰、凌統あたりだろうな

313 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 09:39:44
>>310
そんな難易度高いか?
赤壁からの強行軍で曹仁等が守る荊州落とすのと
張魯の圧力がかかっている益州落とすの
どっちが難易度高いよ?

314 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 10:23:14
>>311
孫瑜の統治って制圧後の一時的なものじゃなく、長いスパンで考えていたのだろうか?

315 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 10:28:19
>>313
曹仁も荊州攻めからこのかた強行軍の連続で、しかも赤壁での敗残兵と疫病を抱えてる
難易度はどっちもどっちというところじゃないの?

316 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 10:55:13
>>313
蜀が滅亡しかかってるのに羅憲すら抜けなかったことをお忘れか?

317 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 11:25:12
>>315
曹仁は江陵の押さえで無傷
周瑜は赤壁から連戦

318 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 12:05:53
>>317
いや、それでも引き揚げられなかった負傷兵の残りや
追加で留められた敗残兵がいた可能性はあるだろう
曹仁が江陵の守備を任されたのも赤壁の直後だし
やたら曹仁の兵は無傷って強調されることが多いけど

319 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 12:14:59
というか「曹仁の兵が無傷」って何か根拠あることなのか?
まあ仮に無傷だとしても勝ちに乗じて攻めてくる周瑜ら数万(曹仁伝)に、劉表の後継者を奉じて南部を切り取る劉備にと荊州が荒らされまくっててもろくに手出しできない曹仁はほとんど孤立無援という感じだけど

320 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 12:38:04
曹仁に任せて後方で待機してる曹操のノンビリ感は異常

321 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 13:33:52
銅雀台建設で頭が一杯だったとかw

322 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 13:50:21
いやそれくらい赤壁での損失が大きかったんでしょ
すぐには援軍送るわけにもいかないくらい
銅雀台は兵士動員する必要はないから別問題だ
もちろん道義的、経済的な問題はあるけどな

323 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 13:51:48
>>316
時代も状況も違いすぎるだろ
比べるなら張飛の進軍が一番近いっしょ

324 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 13:57:01
>>323
確かに状況が違うな。
羅憲が有利なのは、旧蜀ばかりでなく魏の後詰めが期待できたところ。
周瑜や劉備が蜀に攻め込む状況は、公孫述や李勢が割拠していた頃のケースに近いな。

325 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 14:07:14
まず劉備と周瑜の状況が違いすぎるわけだが

326 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 14:11:53
>>313
正直問題は山積みだし不確定要素多すぎだと思う

・劉備の扱い、動向
周瑜が益州侵攻の準備を始めた段階で、すでに劉備軟禁の進言が却下されていることに注意が必要
つまりこの時点で劉備が江南に勢力をもつことはほぼ確定
益州を攻め入るなら劉備をどうするのか、従軍させるのか放置するのか
従軍させるとしたらお互いの支配域、権限をめぐって不和が起こるかもしれない
周瑜の進言では孫瑜に益州をまかせ、自身は襄陽とあり劉備の扱いはまるで触れられてないので。
放置するなら常に劉備の動きに気を配らないといけない
少しでも怪しい動きを見せればすぐ退却するかどうかの判断を迫られる

・益州まで遠征するための兵糧輸送
劉備は益州に入り込み、なおかついくつか拠点を手にしてのスタートだったので現地調達で済んだが
呉は同じ手を使えない。荊州北部からどれだけ兵糧を調達できるか
劉備から兵糧の提供は期待できるのか
本拠地から運ぶには遠すぎるので永安陥落までのタイムリミットが非常にきつい
連戦の後でどれだけ兵糧に余裕があったのかも分からない
敵の援軍もあるのでとても曹仁戦のように一拠点に1年もかけてられないのではないか

・益州侵攻のための人材
赤壁では黄蓋、曹仁戦の勝利は劉備の兵力と呂蒙の戦略と甘寧、凌統、関羽の活躍があってのこと
なおかつ程普、周泰、張飛も従軍して活躍したらしいが
荊州北部を独力で維持しつつ本拠地から主力軍を益州まで遠征させるとなると
どれだけ呉の抑えと江陵の維持に人材を割かれるか分からない
先述のように劉備の戦力をそのまま使える保証はない

・敵の抵抗力
劉備は益州内部に入り込み、名将としての評判があった楊懐、高沛を騙し討ちし
李厳や呉イら重臣の投降があいついだが周瑜はこれら全てと真っ向勝負しなくてはならない可能性がある
劉備の時と同じように投降する保証がないし、内応策もどれほどあったか不明で成功の保証もない

曹仁に勝てたから益州ラクショーとはいかないだろうな

327 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 14:37:20
>>319
別に背中の襄陽を切断されている訳じゃないからなぁ
江陵が押さえてあるってことは荊州南部への重し
かつ呉へ東進する拠点となる夏口は長江の下流の方にあるので喉元に匕首を付けている状態にある
襄陽が残ってるってことは漢水上流も押さえているってことになるので
この重要拠点二点をほっぽいて敵を迎撃する意味はないし
逆にその脅威が分かってるから周瑜は真っ先にここを落とそうとしたんだぜ?

328 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 14:38:53
張魯と劉璋の結託も不確定要素に追加だな
これが起これば周瑜の計画は前提から覆る

329 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 14:52:52
>>326
>周瑜が益州侵攻の準備を始めた段階で、すでに劉備軟禁の進言が却下されている
これ、時系列はっきりしてないんじゃないの?
孫権だって劉備を放置したままの益州攻めは難しいことくらいわかるだろうし
その上で益州進攻案を呑んでんだから矛盾というか戦略的におかしすぎるだろ
周瑜死後に却下されたって方が自然な気がする

330 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 14:53:06
夏口は劉キがいるんじゃないんだっけ?

331 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 15:09:40
>>329
周瑜伝の書き方を見る限り、周瑜生前という風にしか見れない。
大体軟禁するタイミングを考えると京城での会見前後の進言だと考えるのが自然だと思うが?

332 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 16:25:06
京城での会見前後に却下された、と言う方が正しいかったな

333 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 16:38:14
どっちみち孫権は「劉備にそんなことしても無駄」と考えたんだから
却下のタイミングはあまり重要じゃない気がする。

結局劉備問題は周瑜生前には宙ぶらりんのままだったってことだろ
まあ正史に書かれてないだけで何か考えがあったのかも知れんが
書いてないことは議論しようがない

334 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 16:52:22
>>327
切断はされてないけど、肝心な曹操からの援軍なり反攻なりが来なかったんだから結局孤立無援だったことには違いは無いよ
江陵が落ちるまでの1年で実際に曹操が荊州に軍を動かした形跡ないでしょ
だからって難なく落とせるってものでもないだろうけど

335 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 22:16:53
孤立×
無援○

336 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 22:20:26
>>326
でも劉備が益州侵攻する前の時点だって問題山積みだった気がする

337 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 22:27:39
>>336
いや、気がするから何なんだ
周瑜はどうやってクリアすんのって話だろう
頭大丈夫か?

338 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 22:46:20
人事を尽くして解決できることと
不安要素はまた別だろう?
張魯と劉璋の結託とか解決手段のない不安要素として追加してどうするの?
劉備が益州侵攻開始したときだって孫権と曹操が結託する不安要素を常に持っていたよね?


339 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 22:53:56
侵攻の為の人材難とかもムリヤリすぎだね
そんなこといったら劉備の方がよっぽど人材がいなかったと思うけど?

340 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 22:55:58
>>338
まず解決手段のない不安要素を追加することが何が悪いのか分からんが
内応策によって張魯と劉璋を離間できる可能性もゼロじゃないだろう

>孫権と曹操が結託する不安要素を常に持っていたよね?
実際結託してないが?
周瑜が不安要素があっても実行するかどうかの議論だったっけ?

341 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 22:57:54
>>339
それは「曹仁に勝てた周瑜なら益州もラクショー」みたいな意見に対する反論だよ
大体周瑜と劉備の立場が違いすぎるのは>>326で書いてるだろう

342 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 23:13:48
劉備も人材難だったが黄忠、魏延といった荊州人材が思いのほか優秀でまかなえた
周瑜は赤壁の勝利で新しい人材とか手に入れたっけ?

343 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 23:16:42
劉備の入蜀に付き従った荊州の人材は無茶苦茶たくさんいるよ。
蜀の平定に役立ったかどうかは別にして。
でも、多数いるのは事実。

344 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/19(月) 04:35:52
う〜ん、でもホウトウみたいに土地を治める勢力に付くって場合もあるんじゃないか?
とにかく周瑜存命時には劉備勢力と孫権勢力がごっちゃになっててわかりづらい
そして劉備推戴論ならそれらの問題点って全て解決しね?
やっぱ劉備軟禁策がポイントだと思う

345 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/19(月) 10:34:32
だから劉備軟禁策は「不可能」と孫権に却下されてるし
荊州の牧になって公安を都にした時点である程度お互いの勢力ははっきりしてるだろう

346 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/19(月) 11:07:58
劉備を軟禁出来たとしたら赤壁前の短い間だけだろうな
赤壁の後でももう遅いのに、ましてや自分の領土を確立した後なんて
劉備が納得するはずない

347 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/19(月) 14:20:06
赤壁前の殺気立った状況で軟禁なんて出来るはずない。

それに仮に軟禁できたとしても、大人しく軟禁なんかさせてられないと思う。
劉備だからってことじゃなく。

あと、皇帝でもない劉備を軟禁したところで旨味は少ない。
劉備は劉備として一軍を率いて貰った方が一番効果が出ると思う。

348 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/19(月) 15:10:04
いや、軟禁策をそのままとるんじゃなくて、推戴論だったらってこと
そして孫権の却下と益州攻略受諾が、同時に行われてたら戦略的に不自然
周瑜が死んで魯粛案に乗っての却下だったんじゃないかな、と

349 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/19(月) 15:19:39
ここで>>331-333に戻る

350 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/19(月) 15:39:52
繰り返す♪このポリリズム♪

351 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/19(月) 19:46:56
>>342
でも最後は諸葛亮の援軍で勝てたけどな

352 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/19(月) 21:05:40
>>330
益州侵攻計画の頃には死んでる頃
夏口は既に明け渡されて呉の物になっている

353 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/20(火) 02:02:19
>>352
なんか>>327の書き方だと、曹魏が夏口を抑えてる認識のように思えたんだよね

354 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/20(火) 13:52:49
周瑜って劉備を皇帝にしようとしてたんだよね?
一方で魯粛は孫権自体を皇帝したかったから
二人に意見の齟齬が生じたって聞いてる

魯粛にくらべて周瑜の策は非現実的だけど
周瑜の最大の武器は情報収集能力だから
おそらく彼自身には益州攻略の確かな根拠があったのだと思う

死期が迫っていて焦っていたとも捉えられるけど…

355 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/20(火) 23:28:35
>>353
夏口に匕首つきつけているなら曹操勢力じゃねーだろ

356 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/21(水) 17:31:06
夏口を抑えてるなら「喉元に匕首つきつけている」だとは思うが

357 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/22(木) 03:03:03
>魯粛にくらべて周瑜の策は非現実的だけど

いや、魯粛の方が非現実的だろう。少なくとも後漢末の価値観でいえば。
劉備を美人刑で虜にして、同姓の劉章と同盟を結ぶことは可能だったと思う。
現に曹操は狩りをしたいといいながら攻めてきたわけでしょう。
攻めあがる=滅ぼすではない。

358 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/22(木) 09:58:43
魯粛の策って一言に言っても時期によって違うからなあ
正史で否定されてる美人計が可能とかいうのは完全にただの希望的観測だろう

>現に曹操は狩りをしたいといいながら攻めてきたわけでしょう。
これ話に関係あるのか?


359 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/23(金) 09:56:48
てか魯粛の計と周瑜の計って結局は同じだったんじゃないの?
曹操の動向を見つつ、長江流域を支配して孫権皇帝へって感じでしょ?
劉備をワンクッション置いてるだけで、隙あらば劉備も呑み込むって感じ

周瑜存命時に孫権軍じゃ益州、漢中を支配できるか否かっていう意見の対立じゃないの?

それか本当に孫権が皇帝になるかどうかだったのか?

そこんとこよくわかんないんだけど、どっちの策も現実的で、積極的か慎重的かの違いだけだと思うんだが

360 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/24(土) 12:48:17
>周瑜存命時に孫権軍じゃ益州、漢中を支配できるか否かっていう意見の対立じゃないの?

だからここが非現実って話じゃないの?
周瑜の計と魯粛の計は全然違うだろ
魯粛の計は最終的にどこまで目標にしてたのかもよく分らんし

361 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/25(日) 23:34:36
そんなに非現実的じゃないんじゃないの?
ってなるんだが、またループっちまうな

劉備が悪いな、もうこれは

362 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/26(月) 01:11:37
というか非現実かどうかも分からないと言った方が正しいだろう
色々考えてたのかも知れんが記述が無いからな

363 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/26(月) 10:43:38
南船北馬

364 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/26(月) 19:42:30
数年かかって結局劉表から夏口もとれなかったのに益州・漢中とか無理じゃね。

365 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/26(月) 19:47:51
でも黄祖消して1年で南郡夷陵まで取った

366 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/26(月) 22:20:59
劉表・黄祖>>曹操・曹仁

367 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/26(月) 22:30:35
>>365
一年もかけて一郡しかとれてねえじゃん。益州一州なら何年かかるのか。

368 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/27(火) 03:17:31
一念

369 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/27(火) 04:09:18
初っ端の会戦で大敗したりどっか落とせばあっさり降伏するんじゃないの?
相手が相手だけに

370 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/27(火) 08:06:39
>>367
雪だるまは最初作るの大変だけど
ある程度大きくなると転がすだけでみるみる大きくなる

371 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/27(火) 21:47:38
そんな僥倖頼みの戦略立てられたら
孫権が尻込みするのも仕方ないな

372 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/27(火) 22:44:05
>>370を僥倖っていうなら劉邦も曹操もみんな僥倖だってわかってる?
最初は元手が少ないから1州で1州を平定するのも大変
でも1州を平定してしまえば今度は自分が2州をもって1州を平定できる
これが雪だるまの論理。OK?
信長も尾張平定>美濃平定>畿内平定の順番で時間がかかってるだろ
自分の展開できる兵力が少ないからそうなるんだ

373 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/28(水) 01:11:24
>>372
そのまま雪だるまが大きくなり続ければな 
途中で溶けたりするかもしれないしそもそも雪ダルマが完成しないかも知れない
さらに雪ダルマを作ってる最中に邪魔をされるかもしれない
その邪魔などに当たる外的要因の可能性について議論してるのに
外的要因を考慮してない雪ダルマの論理の話したって糞の役にも立たんってことだ
最終的に>>371が言いたいのはそういうこと 
大体劉備や曹操も確かに僥倖だが結果が存在してるだろう 
この議論は呉が益州を支配できたという結果が出てないから可能性について話あってる
既に起きた結果と起きてもいない事象を同列に扱うのはどうかと思うぞ 


374 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/28(水) 02:03:14
先に江南の軍事力で夏口一年という計算のまま
益州で何年になる?のと言ってるのは>>367だぞ?


375 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/28(水) 02:16:54
うん だからどっちも検討違い 
まあ絶対無理とする確実な根拠も無いからなんとも言えないけど
>>326 の言ってることに集約されてると思う 
結果を見ても呉が侵攻して勝った戦いがどれだけあったかというと… 
まして攻める場所が奥地だから周瑜とはいえどこまで予見できるか… 

376 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/28(水) 02:25:58
さらに呉は特に豪族の力が強くて盟主の力が脆弱だからなあ
個人的な考えでは侵攻して永安が仮に抜けても維持できないと思う
関羽が荊州北部に侵攻してる時も徐州を制圧する意見がでたけど却下されてたし
補給線の問題もあると思う まあ仮に劉備勢力を併合できれば力押しで益州平定できるかもしれんが…
どうなんだろうな


377 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/28(水) 04:25:21
>さらに呉は特に豪族の力が強くて盟主の力が脆弱だからなあ
これは赤壁でだいぶ覆ったのでは?

それに劉備勢力も当時ではまだ孫権とのほぼ共同体状態だっただろ
この状態では兵力の提供は拒否できるかもだけど、兵站の確保くらいはやらざるを得ないんじゃないか?

378 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/28(水) 06:52:13
>>373
雪だるまの理論は普通に成功の可能性の一つの要因にしたっていいと思う
動員できる兵数が上がっていることは確かな+要因であって
動員すえう兵数が多ければ攻略に要する時間も減るというのは実際に例のあること
周瑜が益州落とせるか?という仮定の命題を立てるのに
現実に起こったことを判断材料にしなければ妄想で妄想を組み立てることになる

379 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/28(水) 10:19:49
>>377
ケ艾も呉の豪族の力が強くて独立できるほどだと言っていたが全く覆ってない
二宮の変も豪族の勢力争いの側面があるしね
そもそも前漢から後漢になったときは既に豪族の力が強くなってるし呉だけ豪族の争いを
してるわけじゃなくて魏も蜀も派閥争いはしてるんだけどね 呉は中央から離れてるから特に豪族の力が強い
まあ兵站の確保は表向きはやるかもしれないね ただ劉備も益州狙ってるわけだから裏で何を考えてるかわからんけど

>>378 『外的要因を考慮してない雪ダルマの論理の話』と限定したつもりだったんだが
文章って難しいな ともかく誤解させたみたいでゴメン
おっしゃるとおり 外的要因を考慮してるなら雪だるまの理論は成功の可能性の一つの要因になるのは間違いない

 

380 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/28(水) 11:35:30
>>379
いや、そんな未来の話じゃなく、赤壁直後で盟主としての孫権の力は飛躍的にアップしたってこと
魯粛だって赤壁のおかげで大躍進するわけだし
だから盟主の脆弱性はこの時期においてマイナス要因にはならないんじゃないかと

381 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/28(水) 12:04:56
>>380
確かにこの時期に孫権の発言力がアップしたのは間違いないだろうね
うん言っていることは分かる 赤壁という結果を示した以上孫権の株が上がり計画を実行するのに豪族達の私兵も動員できる
ただ兵力は動員できるが長期的にできないってことが言いたい
やはり君主に強権がないと思うように行動できない それが長期的な作戦であればあるほど如実に現れてくる
益州攻略の実現性が火を見るより明らかな場合とか電撃戦をして8割以上の勝算があるとかならある程度可能かもしれんけど
見る限り絶対できるといった感じには見えないし… 故に君主権の脆弱性はちょっと問題かな
だから呉は最後まで躍進できなかったと思ってる 南船北馬というのもあるけど
とにかく不安材料が多すぎる 伯符が存命中でもどうだろう 

382 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/28(水) 12:24:34
劉璋は荊州半分に居座ったばかりの劉備が1年で落とせる程度

383 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/28(水) 12:36:39
問題となるのはその荊州に劉備がいることで、根拠地である揚州と益州の間には荊州があって
荊州の領地が曹操と劉備に挟まれてるんだからポッキリ折られるとどーしょーもない罠
益州を攻める前に劉備を攻め滅ぼしたいところ。曹操が居なければ、だけど
益州より荊州全部が欲しいってのは孫権政権全体の悲願だし

384 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/28(水) 12:47:41
だから劉備を形だけの王にして劉備勢力を併合というか合流させるという形になる
そうすれば滅ぼすわけではないから曹操への牽制は残り続ける 
あとは劉備次第ということになって振り出しに戻る… というわけだ
劉備が1年で落とせるって手引きがあったからできたわけで劉備と孫権を同列に扱うのはどうかと思う
地理を知ってるというのは相当大きいぞ しかも兵力が集まる戦略上の拠点がどこにあるかも分かる
まして法正も手引きしてるならその手の情報も完璧に近いはずだし

385 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/28(水) 18:14:41
周瑜存命時の劉備・孫権の関係が非常にあやふやだろ?
この時期の劉備なら孫権側にとってはむしろプラス要因にならんか?

益州攻略で周瑜の邪魔をしようもんならお終いだし、出兵拒否しても対曹操の防備には対応せざるを得ない
とすると、益州の攻略だけど、甘寧なんかは地理もわかってるし、張魯の侵攻もあって東側の防備は、
後の張飛らの快進撃から見るに、かなり手薄だったはず

内応者も期待できるので、案外簡単に落とせる気もする

386 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/28(水) 19:25:02
呉側にとっても劉備と戦うメリットはないんだよ 寧ろデメリットが大きい
少なくとも強大な曹操相手に孫権も劉備も協力するのは不可欠 対外的には協力してると思わせないといけない
故に孫権側も劉備側にある程度は要求できても強く出れない 
出兵拒否できても防備には対応せざるを得ないという点はモットモではあるが
そもそも曹操が両者は協力しておらず寧ろ敵対してると分かれば攻めてきた時点で構想は破綻する
今度も赤壁のようにいくか分からんしね
甘寧の出身地は巴郡臨江県で江州より少し手前 だから地理はある程度知ってるとは思うが流石に戦略上の拠点を全部は知らんだろ
手薄と言ったって既に劉備が入っていった後で劉璋側の目が劉備に集中しているからこそとも思える
まあ内応者が出てくれれば可能になると思うが問題はその前に内応者が出るほど
短期間で孫権側が益州を侵略できるかにかかってる それに劉備側も独自に動くだろうし
  

387 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/28(水) 20:22:55
うん、だから対曹操の防備という面で劉備の存在はプラス要因っしょ
表立って敵対出来る状況にもないし曹操にとっても厄介

劉璋側の目はまず張魯に集中してたんだから、それが劉備に変わっただけで、手薄なのは変わらない筈

あとそういう状況下で劉備側の独自の動きって、具体的にどんなことができる?
かなり限られてくると思うんだけど

388 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/28(水) 21:31:39
劉璋側の目はまず張魯に集中してたんだから、それが劉備に変わっただけで、手薄なのは変わらない筈>ん?ここの意味が分からないんだが
劉備が孫権に変わっただけという意味で言ってるのかな 
そうだとして答えると劉璋が張魯に集中できたのは劉備を当初援軍だと思っていたから領内に抵抗なく入れた
仮にもし周瑜なら最初から侵略戦で始まるので抵抗があるのは間違いない
ということは手薄になるわけがないということ 
それに呂岱伝の漢中攻めにもあるように張魯も孫権を警戒していたと見れるし
張魯は傍観して劉璋と呉の全面戦争になる可能性もあるし下手すると張魯に領土の割譲を条件に呉と共同で戦うというシナリオまで出かねない
だから一番良いのは内応者が出ることか攻め込む前から劉璋側から内応者が出ることなんだけど無理だろうね 後からの内応者にしたって戦線が膠着したら内応者なんて期待できないし
それぐらい不安要素があるなら劉備と共同出兵して益州取らせる代わりに荊州を返還させることを狙った方が現実的 
とにかく不確定要素が多すぎる 具体的な方法だと兵糧を遅らせることが第一に頭に浮かんだなあ

389 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/28(水) 22:02:05
>張魯に領土の割譲を条件に呉と共同で戦うというシナリオ

これは対劉備戦でも劉璋は採らなかったからかなり薄いかと

390 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/28(水) 22:21:19
>>389
多分ね 劉備の場合同族だからという理由と劉備なら殺されないかもと思って張魯と組まず降伏した
呉の場合は同族でないから殺されるかもと思い領土割譲を条件に
張魯に協力させ徹底抗戦をするという可能性も考えたがちょっと想像の域に生き過ぎかもね


391 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/28(水) 22:25:50
劉璋と張魯の共同戦線は張魯側から見れば両者が戦い疲弊したあとで漁夫の利を狙っても良いし
戦力に自信が無ければ劉璋側の申し出は渡りに船として共同戦線をとり安全に領土を入手できるという見方もできるし
不確定要素が大きいか

392 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/28(水) 22:31:58
>劉備の場合同族だからという理由と劉備なら殺されないかも

更始帝は劉盆子に殺されてるじゃないですかー

393 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/28(水) 22:34:38
>内応者にしたって戦線が膠着したら内応者なんて期待できない

許攸「いや全くその通り」

394 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/28(水) 22:53:04
孫子を学んだ人間からすれば
戦線が膠着したら内応者なんて期待できない
ただし黄蓋は除く

BY曹操

395 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/28(水) 22:58:47
お 面白い反応が返ってきた 許攸かw そう来たか  
まあとにかく言いたいのは不確定要素が大きいということかな
何か自分がグダグダと語ってるしそろそろ表舞台から去るか
他の方の意見聞きたいし 




396 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/29(木) 01:06:37
てか張魯ってそんな領土欲で侵攻してるわけじゃないよね
劉璋への怨恨じゃなかったっけ?
それなら張魯と組むよりは孫権に降伏するだろ


397 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/29(木) 03:08:05
劉璋は張魯の母親と弟を殺している

398 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/29(木) 11:16:32
母と子を殺されたのは張魯に早くから完全独立の意思があった結果だろ
怨恨もあったかもしれんが領土欲もあったと思うぞ

399 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/29(木) 20:06:10
その割りにはアッサリと曹操に降伏したというか
その後の蜀における五斗米道なんかをみても
黄巾のような独歩力は感じない
成漢も他に無いから自立したようなものだし

400 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/29(木) 21:49:19
勝ち目がないと分かってたからだろ 
あの時の曹操に正気だったら喧嘩売らんぞ 

401 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/29(木) 22:36:52
いや、だから張魯が居なくなってからも漢中一帯には五斗米道が残って
これが天師道になってその中で李特・李雄を押し上げて成漢をつくる訳じゃない
李雄は范長生を首領に押し上げようとしてた訳だし
でも天師道は別に完全独立の意志が合ったわけじゃなくて、中原が混乱してたからそうせざるをえなかったわけで
李特が率いたのも流民だしね
だから五斗米道の中に領土欲とか独立の意志みたいなものは感じられないんだよ
黄巾みたいに政教一体の雰囲気を持ってない


402 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/30(金) 00:13:52
>>401
つ馬超

403 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/30(金) 06:22:22
馬超がどうしたってんだよ

404 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/30(金) 10:10:23
>>401
んーでも>>398の言ってるように全く領土欲が無かったというのは無いと思うぞ
劉璋が張魯の母と子を殺したのだって従うものと見ていた張魯が従わなかったからだし
五斗米道に領土欲が無いっていうのは否定もしないし肯定もしないけど
張魯個人に領土欲があるかないかの問題であって五斗米道全体の行動理念の話をしてるわけじゃないし
全く五斗米道が関係がないわけじゃないけど一番重要なのは張魯個人の考えやスタンスだろ

405 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/30(金) 11:55:57
>>403
張魯が落ちのびてきた馬超に兵を与えて
何度も涼州に攻め入らせたことをお忘れか?

406 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/30(金) 15:12:52
>>401
>いや、だから張魯が居なくなってからも漢中一帯には五斗米道が残って
>これが天師道になってその中で李特・李雄を押し上げて成漢をつくる訳じゃない
成漢は漢中より南が本拠地でしょ。
成漢の主流は巴夷の他には雍州の豪族。

>李雄は范長生を首領に押し上げようとしてた訳だし
あれはポーズまたは政治的作為であって、信仰心とかじゃないでしょ。

407 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/30(金) 20:31:42
>>404
いや、だから張魯個人の考えやスタンスで五斗米道全体が動くかどうかの方が問題だろ?
張魯だって代々の漢中の人じゃないしな
そもそも劉璋の張魯の母親殺しも流民集団である東州兵と劉焉側近組との戦いの間隙におきた出来事だし

>>405
涼州攻めは馬超側の要請で張魯が指示した訳じゃなかろ
馬超の扱いなんて張魯勢力の場当たり的な行動の最たる者で
明確なプランがあって馬超を保護したんじゃなくて、なんとなく役に立ちそうだから手元に置いておいたんだろ
だから当人もホイホイ劉備についていくわけだし

>>406
漢中は巴と雍州の間な訳だが
漢中からの道教勢力が無視できない程民衆に広がってなきゃ
そんな政治ポーズを取る必要がない訳で
本人に宗教的信仰心があるなしよりそっちの方が大事だろ

408 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/30(金) 20:50:12
>>407
土地も兵も家族も失ってほとんど身一つで投降した馬超が
張魯に一方的な要請なんて出来るわけ無かろう
明らかに張魯側の意思も働いてると思うが

さらに降った後だけじゃなく馬超が韋康と戦っている時も
張魯は馬超に援軍を送って助けさせてる
ずっと馬超との同盟と涼州方面の安全確立を狙って動いてることになる

409 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/30(金) 23:15:37
>>407
五斗米道の性向については俺は余り意見する気はないんだが

>漢中は巴と雍州の間な訳だが
なんか成漢についての基本認識が間違っている気がするが…。
成漢政権の幹部は雍州流民。流民だが貧民ではなく、豪族(雍州時代は仕官していた)が多い。
彼らは雍州に移民していた巴夷と結びつき、290年代末の関中の異民族反乱を避けて共に漢中に入り、後にさらに南下。
で、当初(301年頃)は、綿竹が本拠地で、益州刺史の羅尚と戦い、南下していく。
漢中(梁州)は晋の梁州刺史の支配がしばらく続く。。
307年に一時的に漢中を襲って民をさらったりしてるが、これは范長生を担ごうとした時よりずっと後だし、
版図に組み込むのは314年とかだと思う。

>漢中からの道教勢力が無視できない程民衆に広がってなきゃ
>そんな政治ポーズを取る必要がない訳で
范長生は漢中の人じゃないし、漢中源流の道教勢力の人かどうかも分からん。
それに范長生が率いていたのはわずかに千余家。
だが、李流軍がピンチの時に軍糧を提供したという恩義があった。
ここまで益州人と血みどろの抗争をして来ているので、
范長生を担ぐというのは益州人との和解の意味合いが大きい。

>いや、だから張魯が居なくなってからも漢中一帯には五斗米道が残って
>これが天師道になってその中で李特・李雄を押し上げて成漢をつくる訳じゃない
やはりこれ(の2行目)には納得できないな。


410 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/31(土) 10:33:32
けっきょく張魯はは正気で曹操に喧嘩売ってるのか売ってないのか
張魯は劉璋と和解する気があるのかないのか

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